"Incoherence" <Peter Hammill> |
1. "When Language Corrodes"
(2:46)
2. "Babel" (4:36)
3. "Logodaedalus" (2:18)
4. "Like Perfume" (1:32)
5. "Your Word" (1:09)
6. "Always And A Day" (2:08)
7. "Cretins Always Lie" (3:25)
8. "All Greek" (4:14)
9. "Call That A Conversation?"
(3:13)
10. "The Meanings changed" (1:57)
11. "Converse" (2:09)
12. "Gone Ahead" (5:39)
13. "Power Of Speech" (2:41)
14. "If Language Explodes" (3:46)
ようやく今年発表されたばかりの最新作までたどり着きました。いよいよ登場です「支離滅裂」と題されたPH初のアルバム丸ごと1曲しかないという超大作。これまでLPの片面をすべて使った20分程度の楽曲は、VdGG時代も含めて数曲あったが、今回はそれらのいずれの作品とも異なるタイプの大作である。ソファ・サウンドのアルバム紹介のページには一言「これはつながった41分を超える楽曲である(This is a continuous 41 minute + piece)」とだけ書かれている。もちろん、実際のCDを見てみると曲名は1曲、タイトル・ナンバーだけではあるが、トラックは14の各パートに分けられており、決して1トラックではない。もちろんPH自身のソファ・サウンド2004年3月のニューズレターにおける解説を見てもらうことが必要だ。これはすでに日本語に訳出したものを"inVerse"に掲載しているので、ぜひ作品を聴きながら読んで欲しい。もちろん、このアルバムが実際には昨年12月にPHを襲った心臓発作によって発表が少々遅れたことは事前に知っておくべきことだろう。
「12月5日、金曜日の午後遅く、私は最新のレコーディングの最終セクションのミックスを仕上げ、それを他の素材と共にしかるべき場所に収め、リファレンスとなるCDを焼き、週末のためスタジオを離れた。」スタジオを後にしたPHは、娘さんを連れてDJの家を訪れる。そうして、DJとDJの娘さんと連れ立ってテームズ川のほとりを散歩することになった。「それから48時間もたたないうちに、人生の平手打ちは心臓発作という形でやってきた。もうそれをいじくりまわすことをやめるべき時だということの確認として、ちょっとばかりショッキングな形で訪れたのだ。明らかに、私はこのCDの作業を終えており、このストーリーはそれまでに出来上がっていた、というのが真実だ。つまり、次のとうりだ。」ということで、実際にはその散策の途中にDJと話をしながら歩いていたPHは心臓発作を起こしたのだった。DJと二人の娘さんたちがいたことがPHにとっては幸運であった。娘たちにPHを任せ、DJは車をとりに走ったのだ。2マイルもの距離を。救急車が着くまでDJの車でPHは運ばれ、救急車に移されてすぐに必要な薬が投与されたのだが、この間の時間が考えうる限り最短であったことがPHの命を救ったと言ってもいいだろう。DJが一緒にいたということはなんと幸運であったことか。運ばれた先がDJの奥様の働いている病院であったことも、その同じ病院でDJの奥様の父親がやはり心臓発作でつい最近亡くなったばかりだったということも、単なる偶然だと言い切ることは出来ないかもしれない。DJの奥様はPHの退院後もPHの奥様に協力してPHの快復に尽力されたということにこのような背景があったのだ。
このアルバムには「ふたつの主なポイントが」あり、ひとつは「歌詞内容が、様々な形態における言語の可能性のなさと矛盾に関するものであり、また意味と論理において連続性もなく、あるいは、それ自体において、またはそれ自体に対して首尾一貫してもいないということ」であるそうだ。二つ目は「より重要なのだが、この音楽作品は、41分以上に及ぶ長さをもつ持続的なものである、ということ」だという。そしてその長さに関しては「作品それ自体の歪んだ条件のもと、どこからともなく私に忍び寄ってきた、そういうケースなのだ。」と述べている。
録音は2003年の3月に始められ、テラ・インコグニタ・スタジオを巡るさまざまなごたごたを整理し、すべての権利をデヴィッド・ロードに譲り渡したと聞く。そしてバースからメルスへスタジオを移転。そういう心機一転の年であった昨年いっぱいをかけて録音されたのが本作と言うわけだ。前作「Clutch」の解説に次は「A Black Box」に相当する作品が来るはずだという予感がしたと書いたが、個人的にはまさにそれが的中した形となった。それは単に長い曲が入っていることが共通しているということではなく、コンセプチュアルに言語とコミュニケーションという、ある意味根源的なテーマが取り上げられている点でも共通しているからである。人間にとってベーシックなテーマと言ってもいいだろう。一般的にラブ・ソングが多いのも結局は男女の「想いを伝える」という言語とコミュニケーションの問題の一つの局面だということを考えれば、ベーシックだと言うことを納得してもらえるだろうか。
特徴は、ドラムレスということ、叙事詩的というよりも「歌い通し(sung-through)」のスタイル(これは『アッシャー家の崩壊』に近いものだとPHは言っている)であること。エレクトリック・ピアノでの演奏が基本的にはベースとなっており、そこにギターや他のキーボード類、生楽器(もちろん、SGのバイオリンとDJのサックス類とフルート)が重ねられていること。同じメロディの変奏(バリエーション)がちりばめられていること。オーケストレーションは複雑で、リフもリズムも一筋縄ではいかない。転調と不協和音も多用されている。音楽的に見て、通常とは全く異なるベクトルにおいて非常に高度に組織化されたものだと言えるだろう。それがタイトルである『inCoherence』という表記につながっているのではないだろうか。『incoherence』と書けば「支離滅裂」だが、『in coherence』と読めば「首尾一貫した」となる。「ばらばらでありながらひとつである」というPHの言葉にもそれは表れている。
一方で言葉。歌詞は直接的に言葉そのものの持っている便利さと不便さについて歌っているわけだが、その表現の仕方はバラエティに富んでいる。言葉の使えなさを言い表すのに言葉を使わなければならない、と言うことのジレンマをどう表すのか、それは、こうして言葉によって何かを伝えようとすること自体の持っているパラドックスである。別に「私はあなたを愛している」という言葉を取り上げて「私」とはいったい何を持って私だと言えるのか、とか、「愛する」という言葉は、自分と相手にとって果たして同一の事柄・意味を表すことが出来るのか、などと哲学的な考察を強要しているわけではないのだ。あくまでもこれは歌であり、それ自体で独立した文章や誰かの台詞ではないのだ。こう考えてきたとき『つまり、もう一つのPHポップ・レコードである』というPHの言葉自体の重みは計り知れない。
各パートは、それぞれが独立していながらもつながっていることは先に述べた。実際、10月8日にロンドンで行われた公演では、本作から唯一『Gone Ahead 』のパートだけが演奏されている。『アッシャー家の崩壊』発表時には『アッシャー組曲』として複数のパートが抜粋されて連続した形での演奏を行っているので、ぜひもっと多くのパートを、いや願わくはまるごと全部を演奏して欲しいと願うのはわがままだろうか。今回この文章を書くに当たって、『フールズ・メイト』からすべてのオリジナル・アルバムを聴き通してきたわけだが、その上で本作を聴いて思ったことは、音楽的にはどの時代のものかよく分からないほどに普遍的な要素を強く、多く持っていることであった。発売されたのは今年の3月だったのでその頃の記憶が蘇るのであればさほど違和感はなかったかもしれないが、実際には自分の中に沸き起こった感覚や記憶はどの時代のものだか分からなかった。一瞬にして時代を飛び越えて別の次元にでも入ったかのような錯覚を覚えたのである。断じて言おうこれは現時点でのPHの最高傑作である。また、DJが昨年末に送ってくれたクリスマス・メッセージの中で本作を『マスターピースだ!』と断言していたことも言い添えておこう。
by BLOG Master 宮崎