"Pawn Hearts" <Van der Graaf Generator> |
1. Lemmings
2. Man-erg
3. A Plague of Lighthouse-keepers
「初めてプロの演奏家としての自覚を持つようになった」アルバムだとピーターが語るのが本作品である。前作での出来のよさを考えると、当然次の作品ではさらに素晴らしいものを期待してしまうのがファンであり、今でこそわれわれはこのアルバムを当たり前のように前期の最高傑作だとして位置付けているのだが、その完成度の高さは前作をはるかに上回っている。正直あまり語るべき言葉を見出せない。聴くことに勝る音楽体験は(自ら演奏することを除いては)他にありえないからだ。
本作では前作で1曲のみの参加だったロバート・フリップが曲を特定せずに単にゲストとしてクレジットされている。ピーターは相変わらずアコースティック・ギターしか弾いていない。したがってエレクトリック・ギターが聞こえたならば、それは間違いなくフリップなのだ。しかしそれを見つけることはかなり難しい。フリップの音はここでは完全にバンドの中に溶け込んでおり、彼独特のファズをかけたロングトーンのリードやソロを弾く場面もない。ここにあるのはフリップの音楽ではないのだから当然といえば当然かもしれないが、フリップ目当てで聞くと「え、どこで弾いてたの?」となる。少なくとも私の場合はそうだった。もしフリップのギターのみを消すことが出来たとしても、この音楽はほとんど何も変わらないだろうと確信を持って言える。ちなみにこの時のクリムゾンのアルバムは「アイランド」である。
フリップは当時クリムゾンを通じて「カオスの組織化」を標榜し、ある意味「理論的な」音の構築を目指していた。それは初期クリムゾンの特徴的な様式性に顕著だろう。一方VdGGは音楽理論とは無縁のところで曲作りをするピーター・ハミルの楽曲をベースとしていたためかカオスをカオスのまま提示するといった印象が強い。言ってみれば二人の違いは宇宙(コズモス)というものの本来的な性質を混沌(カオス)と位置付けながらもフリップはそれを組織化し、なんらかの秩序をその中から引き出そうとしていた、いうなればカオスをノモス(法的な秩序のある世界)に変えようとしていたとも思えるし、ピーターはそれをコズモスのまま提示することで何も否定せずにカオスはカオスのまま積極的に肯定しようとしていたように見える。いや肯定すらしていないのかもしれない。そういったことに関心があったのかも疑わしい。
結果、聴き手の側から見たときに「分かりやすさ」という点ではクリムゾンが圧倒的に支持を得たのはすでに歴史となってしまったが「強烈さ」という点ではVdGGの方がはるかに強かった。それは「鮮烈さ」とはまったく異なる次元での強烈さだった。こう言ってよければ「聴き手の受けるダメージの深さ」である。VdGGはそれが圧倒的に強かったのである。それゆえVdGGの音楽は聴き手の彼らの音楽に対する同調(シンパシー)を生半可なレベルではかえって拒否してしまったのではないかと考えることが出来る。前作まではそれでも「Refugees」や「Out of My Book」あるいは「House with no Door」のように感傷的な共感を聴き手が抱くことが比較的容易く出来る楽曲があり、「Darkness」や「Killer」のように単純に「格好いい」曲として表面だけでもすぐにのめり込める楽曲もあった。しかし、このアルバムではよりストイックに、より深いレベルでの共感(共振と言った方が近いかもしれない)が求められ、結果、それを受け入れることが出来た人だけがこのアルバムを「最高傑作」と呼んだのではないだろうか。もちろんファンの評価は様々で「最高傑作」がどれか、ということについてはファンの意見が大きく分かれるところである。
「Lemmings」:印象的なアコースティック・ギターのリフにフェード・インするかのように重なってくるフルートとドラムスがのっけからこちらの期待を煽ってくる。何かが違う。新しい何かが始まるのだ、そういう予感に満ちたイントロである。センチメンタルな部分をばっさりと切り捨てたかのような冷徹な切れ味の良いナイフのような感触を持ち、混沌とした世界を目の前に提示してくる。まるで全員が好き勝手に演奏しているようにも聞こえる箇所も多く、コードやキーの展開はまるでめちゃくちゃ。音楽理論無視といわれても仕方がないだろう。「レミング」は理由が不明な集団入水自殺をするネズミ科の動物のこと。
「Man-erg」:ピアノの弾き語りのようなイントロから「安心できる」展開を見せる最初のパートは、前作までを連想させるが、すぐにサックスと絶叫する歌がこの曲の異様さを強くアピールしてくる。この極端な静と動の対比がこの曲の特徴であり、フリップのギターが一番分かりやすいのもこの曲だ。アルバム中最も構造が分かりやすくドラマチックな曲である。また、「Refugees」や「House with no Door」の延長線上にあるエッセンスを多分に持っているため人気の高い曲でもある。「殺人者が私の内に住む、私は彼が動くのを感じることができる」「天使たちが私の内に住む、私は彼らが微笑むのを感じることができる」という歌詞が強烈なインパクトをまず与えるだろう。
「A Plague of Lighthouse-keepers」:旧B面全てを使った大作。多分にインプロビゼーションの要素を盛り込んだ楽曲の構造は複雑で、シンフォ系のプログレ大曲とは異なり展開は強引かつ極端である。しかし歌メロはあくまでメロディアスであり、後半に向かっていくにしたがってどんどんドラマチックになっていく。始めのピアノの音から最後の荘厳なコーラス・ワークが消えるまで、一瞬たりとも気を抜くことを許さない緊張感が要求される。名曲であると言わねばなるまい。
同時期に発売されたシングルが「テーマ・ワン(Theme One)/w」であるが、これはA面は英国BBCラジオ1の最初期のジングルでジョージ・マーティンの作曲であり、当然インスト・ナンバーである。昨年のデヴィッド・ジャクソン公演でも演奏されたが、今に至る超人気曲であり、当時アルバムA面の2曲目としてアメリカのみ追加収録された。B面の「w」は古い曲で、アルバムにはそぐわないと判断された。シングルは欧州各国で異なるジャケットで発売された(写真は左からUK, Italia, France, Germany)ためコレクターズ・アイテムとなっているが、その分今でも入手しやすい。しかし音としては「テーマ・ワン」は「アン・イントロダクション」がリマスターされているのでそちらの方がいい。「w」はヴァージン・ユニバーサルからのコンピレーション「I Prophesy Disaster」で聞くことができる。
プロデュースはジョン・アンソニー、録音はロビン・ケーブル。ジャケットはポール・ホワイトヘッド。タイトルはチェス用語をもじったとも「管楽器のパート(Horn Parts)」から音のアナグラム的な類推でもじったものとも言われている。真相はバンドのメンバーたちの胸のうちにしかない。1971年9月のトライデント・スタジオでの録音。プロデューサのジョン・アンソニーが最初「エアロゾル」でエンジニアとして希望したがスケジュールの都合で使えなかったケン・スコットがこのアルバムでは参加しているのも面白い。
このアルバムは、いわゆる「プログレ」バンドとしてのVdGGの地位を確固たるものとした作品であり、それによりバンドの思いからはかけ離れてしまったところにバンドが位置付けられてしまった作品であるとも言える。一方で、当時のライブでは客席からはいつも「キラーをやれ!」などの「イメージの固定された」バンドの音楽像を求める動きが大きくなり、それはバンドのフラストレーションとなっていった。ファンの多くはある意味バンドが進化することを望まなかったのである。いつまでも(安心して聞ける)昔の大好きな曲を演奏してくれさえすればそれでよかったのであるが、音楽の作り手にはそれは難しいことだ。ましてやまだ若く音楽的な冒険に野心を燃やすVdGGにしてみれば出来る相談ではない。そしてバンドは3度目の解散をした。メンバーはまだ22、3歳であった。
また、このアルバムにはもうひとつの謎が残されている。それは、このアルバムはもともと2枚組みとして構想されていたということだ。しかしながら、その内容については、「Killer」や「Darkness」といった既発表曲のスタジオ・ライブのようなものが3曲程度をA面とし、B面にはガイとヒュー、デヴィッドがそれぞれ書いたソロ作品が収められるというものであったという。実際にはこの当時で2枚組LPの発売はリスクがあるとして現在知っている形に収まったようなのだが、現在進められているヴァージンからのリマスターではこの幻の2枚組を再現する方向だとうわさされている。ソロ作品とは言っても演奏には他のメンバーが参加しているとのことで、ただし、ミックスダウンまで含めて当時の段階で完成していたのかどうかは曖昧である。唯一分かっているのはデヴィッドの曲は「"Archimedes Agamemnon agnostic, Now the Blackshirts are coming here Live in freedom not in Fear." 」通称「(アルキメデス・)アガメムノン・アグノスティック」であるということだけである。これは昨年の来日時のファン・パーティーでデヴィッドから直接聞き出したファンがいた。
もし、というのはありえないのだが、もしバンドが解散せずに、アルバムを作っていたならば、という妄想はファンの間では長い間繰り返し議論されてきた。それはこのVdGG空白期間のピーターのソロ・アルバムにバンドのための楽曲がいくつも収録されているからだ。しかも録音メンバーはVdGGそのもので。それらを集めて架空のアルバムを作ってみると幻のVdGG作品がおぼろげながらその姿を見せてくれるだろう。それと「The Long Hello」だ。1969年から1971年までの3年間で前期VdGGは濃密な3枚のアルバムを発表してひとまず幕を閉じた。メンバーは23、4歳、ピーターにいたっては録音時まだ22歳であった。
by BLOG Master 宮崎