2013 May entry on Sofa Sound Peter Hammill's Journal |

“A Learning Curve”
by sofasound
Posted: May 31, 2013 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized | Comments
先回のジャーナル投稿のとき、私は決断の際にいた。新しい技術的なセットアップへと突っ込んでいくかどうかの崖っぷちにである。あえて言おう。あなた方は、私が飛び込んで行ったのか、行かなかったのか、もし、飛び込んだのであればどのように、ということを聞くのを待つことは出来ない。
思うに、私は公にした(このジャーナルが、屋根の上から叫んでるのと大差ないものである限りにおいて)、つまり、私は実際に自分自身をその中へと、それがどんな場合でも、押し出した、ということだ。そう、私は飛んだのだ。
本来、これはそれほど大きな転換のように見えないかもしれない:私は自分のミキシング卓を変更し、新しいコンピューターを手に入れ、いくつかのソフトウェアをアップグレードした。現実には、これらは、私のレコーディングの取り組みがその上に浮いている地殻プレートにおける大きな変動である。
警告の言葉:ここからは、かなりオタッキーな話になる...
私が持っていた従前のシステムは、多かれ少なかれ、テッラ・インコグニタがバースのウォルコット・ストリートの入り口に居を構えていた時代にさかのぼる頃からのものであった。それは、出た当時は革新的なものであったヤマハの02Rという卓を中心に組まれていた。ADAT用の光ケーブルの入出力や、自動化された動くフェーダーと私がまさに必要とした諸々の一般的な機能を持っていた。それは今日現在に至るまで。いまだにきちんと働いてきているんだ、実際。
長年に渡り、私は徐々に物事の録音のために何台ものマックを切り替えてきた、そして、インテル・チップではなく、G4チップのまさに最後の世代のラップトップでそれを終えた。それらはカードバス・スロットを持っている最後のものでもあったのだ。カードバスは、マックから卓への通信がそれを介するものとして、私のセットアップの中では極めて重要なものであり、RMEインターフェースがこのチャンネルを使って、物事を入力したり出力したりしていたのだ。
私は一般的に最新のものや、最新のアップグレードを追いかけるような趣味は持っていない。私はコンピューターを、基本的に(オーディオとMIDIの両方の)録音と編集の基本的な機械として使い、効果的には、それは私にとって古いスタイルのテープと同じ類のものに過ぎない。私はどのようなシャッフル・クウォンタイジングをすることも必要ではないし、どんな特別なベルやホイッスルも必要ではない。そんなものが「より良い」ものにするだろうことは「分かっている」が、私は、大概は、自分が持っている昔ながらのものを - 望むらくは - 新しいやり方...「新しい」ものへ昔ながらのテクニックを適用することに逆らうようなやり方で作業を準備してきたのだ。
数ヶ月前 - どんなコンピューターでもドライブでも壊れるものであり、明らかに、そのうち、というよりはむしろすぐにでもそうなるだろう、ということに気が付いた - システムの故障が生じた場合その機械の上に切れ目なく作業することができるように、私は(当時の)現行のものに同一のG4ラップトップを用意し移植したのだ。(私が使っていたCubaseは、当然ながら、使っていたMac OSと同様に極めて古いものだった。新しいマックで走らせることも出来ないので、私は何かしらヴィンテージ品を見つけなければならなかったのだ...。)これは、その道具と、実際、それを使って、見える範囲の将来に渡って作業をたぶんやっていけるだろうという信念についての満足の証拠であったのだ。
そう、さぁ私たちは最新のVdGGツアーをまさに始めんとしているところで、私たちが行った一つの決断は、自分たちのモニター卓をツアーに持っていく、というものだ。それは、新しいベーリンガーのX32、極めてモダーンなやつだ。私はこれを先月購入し、すぐに、それにはライブ・モニタリングのと同じくらいスタジオ用卓にもなる可能性があると思ったのだ。
それが仕事できるかどうかを見極める道は唯一つ、けれども(私自身、先月末にここにたどり着いたのだけど)、それを配置してみて、それで作業を始めてみることだ。
事実、それは、ほかの全てを完璧に引っぺがすことを意味した(長年にわたってケーブルによるネズミの巣の中に構築されてきた順番と接続の全てを「極めて」注意深くメモを取ることなしに、ではなくだ)。このほとんどのものは、9年かそこいらの間、どんなやり方においても触られたり変更されたりしてこなかったもので、すべて、バースのテッラに遡ることのできるオリジナルのセットアップに基づいていた。
X32のデジタル入出力はファイアワイアを介している。古いマックは、それはすばやくなくなってしまったが、極めてマルチトラック・オーディオの入出力をこのインターフェースを使って扱うのに適していたが、実際、よりモダーンなより早いマシンを手に入れるべきときだということが分かったのだ。あなたの最終的な、全ての歌、全てのダンスする男ではないが、少なくとも、なにかしらが、最新のOSによるものだ。そして替わりにもちろん(上を参照)それはよりモダーンなバージョンのCubaseを同様に手に入れることも意味していた。
そうして私は、その時、今月の初め、全てが組み上げられて、動き出す準備が整い、学習曲線へと乗り出していったのだ。
『全て論理的なものだ、全て論理的なものであるべきだ』、私は、単純なタスクを一つずつ不器用に試しながら自分自身につぶやいた。それらのタスクは古いシステムでは私にとって第二の天性とでも言うべきものだったのだが、新しいものにおいてはそれほど単純なものには思えなくなっていた。私はもちろん画面上にマニュアルを呼び出せるようにしておいたが、誰もが知るように、マニュアルというものは、実際に答えを求めてどこを見ればよいのかがわかっていなければ役には立たないものだ...つまり、いずれにしろ、その場合、もう答えは、手の届くところにまで来ているってことなんだ。
(バースでの)昔は、いつも、同じように - あるいは、同等に - 学習曲線を辿っている人々がいたものだった。それで何かしら共有される知識や照会事項のたくわえがあったものだ。最近は(あぁ、モダーン・ワールド!)私は自分の冒険において、極めて多くを一人でやらなければならない
インターネットとフォーラムの賢さ(あるいは賢くないこと)に感謝する。それが私を健康に保ったのだ、同様に - 私は(わざと)スタジオにはインターネット・アクセスを設置していない。それで、私はオンライン・リサーチのためには家の中にすっ飛んで行かなければならなかったのだ。
たぶん丸々1週間ほどが新しいシステムのことで頭がいっぱいになっていたことだろう。大半は、スロー・パニックの霧の中で過ごしているようでいて、古いものをもう一度元に戻さなければならない「かもしれない」という執拗な感覚を伴っていた。しかし、徐々に、私は水面に浮かび上がってきて、楽に呼吸できるようになった。
今や、私はその決心を全く後悔していないと言わねばならない。このシステムは、これからの数年間、これからのいくつかのアルバムを通じて、私に、明瞭さと精確さの両方を伴って私の面倒を見てくれなければならない。
おぉ、そうだ、アルバムたち、「あの」トラックに戻ったほうがよさそうだ...。
おぉ、VdGGのツアーがもうそこまで来ている。私の筋肉記憶を「あれ」のためのアクションに戻した方がよさそうだ...。
おぉ、6月になる。
-------------------------------------------------------
いつものように、訳文は誤りがあるかと思いますので、出来るだけ原文に当たってください。
さて、DTMをやる人にはお馴染みのCubaseというソフトをピーターも使っているようですが、自分で録音する際の機材としてはマックのノート・パソコンが活躍していたようですね。ツアー中のホテルなどでも録音していたと聞いたことがありますから、直接、生で録音する機材として活用していたようです。
筋肉記憶。以前、ヒュー・ばんとんは「手の記憶」と言っていたことがありましたが、体が覚えている、ということなのでしょう。いよいよ今月後半からはヨーロッパ・ツアーが始まります。「あの」曲です。
by BLOG Master 宮崎