Project HB #2:"Bedtime Stories" Judge Dread |
VdGG関連以外のミュージシャン活動が極めて少ないヒュー・バントンですが、その極めて少ない“外部活動”の中でも、今回は、あの超詳細なファン本である「ザ・ブック」にも載っていないアルバムをご紹介します。ヒューについては、これが第二弾にして最後です。
"Bedtime Stories" Judge Dread
(Captain Mod MODSKA CD 22, UK 1975, reissue on CD 2002)
1. Bedtime Stories (2:55)
2. J'Taime (2:29) (Written-by Gainsburg)
3. What A Beautiful Pair (3:05)
4. Rudeness Train (2:53)
5. The Six Wives Of Dread (3:43)
6. This Little Piece Of Dinkle (2:56)
7. Last Tango In Snodland (2:55)
8. Big 10 (2:58)
9. Trenchtown Billy (2:10)
10. Move Over Darling (2:58) (Written-by Cantor, Lubin, Melchor)
Bonus Tracks
11. Look A Pussy
12. Rasta Chat
13. Christmas In Dreadland
14. End Of The World
15. The Golden Fleece
Musicians;
- Alex Hughes a.k.a. Judge Dread
- The Cimarons
- Dansak
- Hugh Banton
- Judd Lander
- Kenny Elliot
- Additional Vocals:Boris Macabre, Busty Lil, Linda Lunn, Ted Lemon
Written by Ted Lemon and Alex Hughes (as duo)
Produced by Alex Hughes, Ted Lemon
"Bedtime Stories" UK Albums Chart # 26 in 1975
なんと、レゲエのアルバムへの参加です。
VdGGのメンバーの中で、最もレゲエ好きとしても有名なヒュー・バントンではありますが、どういう経緯でこのアルバムに参加したのか。そのヒントは、もう一人の参加ミュージシャンとしてクレジットされているケニー・エリオットにあるのではないでしょうか。そう、先にご紹介したセヴンス・ウェイブのケン・エリオットです。
その前に、このアルバムの主役、ジャッジ・ドレッドについてご紹介しましょう。
- Judge Dread:Alexander Minto Hughes (2 May 1945 - 13 March 1998)
本名はアレックス・ヒューズ。イギリス生まれの白人レゲエ・ミュージシャンとして初めてジャマイカのヒット・チャートにも入った人物であり、その性的内容を露骨に直截的に歌った歌詞から、BBCでの放送禁止を1970年代で最も多く喰らったヒット・メーカーでもあった。イギリスでは、ボブ・マーレイよりも多くの曲をヒット・チャート入りをさせた白人のレゲエ・ミュージシャンとして有名である。1998年ライブ終了時にステージから歩み去ったまさにその瞬間に心臓発作を起こし、52歳の若さで亡くなっている。
このアルバムは、彼が最も多い年間3枚のシングルを英国のヒット・チャートに送り込んだ1975年に発表された3枚目のアルバムで、アルバム自体も年間チャートの26位に入っています。
セルジュ・ゲンズブールの「ジュ・テーム」のレゲエ・バージョンなどがすぐに目につきますが、基本的にこのジャッジ・ドレッドの歌は、かなりお下品でエッチなものばかりで、その歌詞のおかげでヒットチャートに入っているにもかかわらず、彼の曲はBBCでのラジオ放送は一切禁止にされていたそうです。それが同時にヒットの理由の一つでもあった、のかどうかは分かりません。同時期にテレビ番組で「Judge Dredd」という人気コミックがあり、若者たちはその音楽と勘違いして、間違えて買っていたのではないかという揶揄さえあったほどです(ちなみに、このコミックは、1995年にアメリカでシルベスター・スタローン主演で映画化。また、去年、今度はイギリスで映画化されてヒットしたようです)。
歌詞はともかく、曲自体はレゲエ・ポップとでも言うべきもので、ジャマイカで初めてヒットした白人レゲエ・ミュージシャンだというのも分かる気がします。ジャッジ・ドレッドが初めてジャマイカでコンサートを行った時には、彼が白人であることに驚いたジャマイカ人ファンが大勢いたそうです。先にリンクを張ったトロージャン・レーベルの紹介文の中では「トロージャン自身のプロダクションで最も商業的成功を収めたのはもともとドアマンだったアレックス・ヒューズ(Alex Hughes)だった。彼はジャッジ・ドレッド(Judge Dread)のアーティスト名で'Big Shot'など子供じみたジャマイカのリズムに乗せて風刺を描写することで多く作品がクロスオーバーヒットとなった。(ちなみに'Big Six'、'Big Seven'、''Big Eight'といった楽曲はBBCによってすべて放送禁止になった) 」とあります。
さて、本題。
このアルバム、これまでVdGGファンの間では、全く知られていませんでした。私が見つけたのは、偶然このアルバムのクレジットの中にヒュー・バントンの名前がケニー・エリオットとともにあるのを見つけたからでした。
これまで、ヒュー・バントンが関わってるVdGGとは全く関係のないアーティストのアルバムについての情報は一切ありませんでしたので、ヒューに直接メールで質問をしてみました。以下の内容は、それに対するヒューからの返事に基づいています。
先にセヴンス・ウェイヴのご紹介の中で書いたように、1974年のヒューは、チョーク・ファーム・スタジオの2階を作業場としてHB1オルガンの組立を行っていました。そして同じチョーク・ファームを拠点としていたケン・エリオットは、数多くのスタジオ・セッションやTV用の音楽制作(TVセッション)をこなしていたというのも先に書いた通りです。
当時のケンのセッションは、当然ながら拠点であるチョーク・ファーム・スタジオでのレコーディングだったようですが、ヒューによれば、多忙なケンが参加できないときに、ヒューが代役としてセッションに呼ばれていたのだそうです。その結果のひとつが、このジャッジ・ドレッドのアルバムという形として残っている訳です。ちなみに、ヒューはこのアルバムのことを「ほとんど忘れていた」と言っています。また、ジャッジ・ドレッド以外にも同じように録音に参加したものはないのか訊いてみたところ、「One or two ... but I can't remember what or who they were ! Sorry.」(Hugh Banton)とのお返事でした。残念。
ヒューは、このアルバムのレコーディングについて、ぼんやりとしか覚えていないとのことで、どの曲で自分が演奏したのかはよく分からないと言っています。敢えて言えば「ジュ・テーム」は自分の演奏ではないか、とのこと。ちなみにこの「ジュ・テーム」という曲はセルジュ・ゲンズブールの、超が付くほどの有名曲ですが、この曲のVdGGバージョンも録音したことがあるそうです! ただし、アーカイヴのどこかに紛れ込んでいて、どこにあるのか、本当に残っているのかもよく分からない! とのことでした。これこそ本当に残念!
このアルバムが録音されたのは1974年。一方でガイはチャーリー・アンド・ザ・ワイド・ボーイズでロックン・ロールを演奏していました。そしてデヴィッド・ジャクソンを含めた3人で、「ザ・ロング・ハロー」の1作目もこの年に録音されています。また3人揃ってピーターの「ネイディアズ・ビッグ・チャンス」に参加し、年末までにはVdGGの再結成を決断していました。ある意味、VdGGのメンバーそれぞれにとって、大きなターニング・ポイントとなった年だったのかもしれません。もっとも、ヒューに言わせれば「One of my more relaxed years ;-)」なんですって。
まったくの偶然ですが、昨年、2012年1月1日にヒューは奥様と一緒にこのチョーク・ファーム・スタジオがあった辺りを訪れて、散歩したそうです。街並みは、大きくは変わっていなかったそうですが、スタジオははるか以前になくなっており、スタジオが入っていた建物は空っぽだったそうです。
ヒューがこのスタジオにいた1974年、奥様は、アシスタント・エンジニアとしてそこで働いていたそうです。そしてヒューがVdGG再結成のためにスタジオを去った時、奥様も一緒にそこを後にしたそうです。チョーク・ファーム・スタジオは、二人にとって思い出の「出会いの場所」でもあった訳です。ロマンチックですねぇ。
ヒューは最後にこう書いてくれました。
"There y'go - stuff that's not in The Book!"
そうです、このアルバムについては、フィル・スマートとジム・クリストファルスの「ザ・ブック」にも載っていません。幸いにもCDとして再発されていますので、ご興味を持たれた方は試してみるのも面白いかもしれません。
by BLOG Master 宮崎