Sofa Sound Peter Hammill's Journal 2013年1月度「Moの思い出」 |

「Moの思い出」
"Memories of Mo"
Posted: January 31, 2013 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized | Comments
本当に、今月で私が書くことが出来ることはただ一つのことしかない:ニック・ポッターの、数週間前の、悲しい別れについてだ。
ニックは、対向性の脳疾患、ピック病にここ数年の間見舞われていた。(奇妙なことに、パット・モーラン(*)もまたこの珍しい病気に襲われていたのだった。)ニックにとって、見通しはよくなかった。そして、- 彼の症状は確実に悪化していったと理解している - ありがたいことに彼は、自分自身では全くこのことに気づいていないかのようだった。結局、肺炎をしばらく患ったあと、合併症が起こり、彼を61歳にして死に至らしめたのだ。
ニックは、彼がプロとして演奏を始めた時は、驚くほど若かった。ミスアンダストゥッドで、それから、もちろん、VdGGde。彼のベース演奏は、しかしながら、熟練したもので、最初から有無をも言わせぬものであり、直接的なものであった。
これは、彼がVdGへの転生時に再び参加したときも、いっそうそのようでした。この時点で、彼はフランジングとディストーションの世界へと、その身を投じたのだ。それは、その時が最後ではなく、彼のベースをリード楽器の役割へと押し上げたのだった。
VdGの時期は、私たちが生きていた電気の生命の本質を反映させるように、パワフルに演奏することで、特段に、背伸びをし、熱し製錬する期間であった。後に、同じようなことがKグループの時代にも起きた。そして、これらの枠組みの中にニックが極めて深く組み込まれていたというのは単なる偶然ではなかった。彼と演奏することを愛していたということを言わずして進めれば:彼は常に信頼でき、直観的であり、かつ、奇抜な手を見事にやってのけるだけの余地をも残していた。
ニックとの沢山の瞬間の記憶もまた、ここ数日の間に、活き活きと輝いて蘇ってきた。しばしば、彼との最高のやり取りは、無言で、眉を上げたり、肯定的に親指を立てたりとか、いまだに私の頭を離れない。しかしながら、私は、Moらしさや自分が彼といた時の話しを語り込もうというつもりはない。それらは沢山あるんだけれども、そしてその多くは、彼の、人生の奇妙さへの、特にツアーに出ている時の、皮肉っぽく、時にドライなアプローチの要素をいくらか伴っているのだが。
彼はいつも「今」にいた。しかし、同時に常に「次」や「どこか」がどうなるのかを見つめていた。足を踏み鳴らしながら、指でとんとんと叩きながら、たばこを素早く吸いながら、そして - 誰かが気づく前にドアを飛び出していった。いつも、けれども、推論を以て、人は何が彼の現在の探求を推し進めさせているのかを、論理的な道筋をたどって遡っていくことが出来た。
Dear, dear Mo.
私たちは何年も交流がなかった、もちろんだ。兎にも角にも、私たちが最後に互いの姿を見た時には、それはピック病の発病のしばらく前なのだが、これらの兆候の何一つとして表れていなかったというのは、私にとっては気休めである。
彼の葬式には出席することが出来なかったのだが、その時、偶然にも、私は彼のためにグラスを掲げることはできたのだった。雲一つない空と深く青い海を見ながら。この瞬間、私は彼の飛んでいく魂をとても身近に感じた。
そう、さらばニック、彼は、私がかつて聞いた限りのツアーする生活の定義する良いものとして作り出された:「使い果たし、使い果たされ尽くした」。今や、すべての時間は食べ尽くされてしまった。
私の最後の、そして継続するニックのイメージは - 頷いたり、ウインクしたり、微笑んだりといった社会生活の中の一つではない...が、彼の両目が、集中した様子で閉じられ、頭を少し前方につきだし、ステージの左でじっとしている、というものだ。そして、「ラスト・フレイム」のオープニングのベース・コードをかき鳴らすのだ。
彼はしばしば複雑で、謎めいており、神秘的だった。
しかし、にもかかわらずニックは、いつも素晴らしく、「極めて強烈(Pretty Keen)」だった。
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今回のジャーナルは、悲しい出来事について、しかし、彼の記憶をとどめるために、書かずにはいられない、読まずにはいられないものとなりました。
by BLOG Master 宮崎
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*パット・モーラン;
1998年頃からピック病を患っており、2005年からは介護の下での生活を送っていた。2011年1月に逝去。同年2月に英ガーディアン紙に兄弟による弔文が掲載されている。
1970年代後半のVdGGのレコーディング・エンジニアとして「ゴッドブラフ」「スティル・ライフ」「ワールド・レコード」で彼の名前を記憶にとどめたファンも多い。ピーターのソロでも、「カメレオン」と「オーバー」でその名前を確認できる。
またエンジニアとしてではなくプロデューサとしても数々のアーティストを手掛けている。代表的なアルバムは下記の通り。
1975 "A Night at the Opera"(Queen) アシスタント・エンジニア
1977 "A Farewell to Kings" (Rush) エンジニア
1980 "Soldier" (Iggy Pop) プロデューサー
1982 "Choose Your Masques" (Hawkwind) プロデューサー
1983 "The Principle of Moments" (Robert Plant) プロデューサー
1991 "No Place Like Home" (Big Country) プロデューサー
また、最初はミュージシャン(キーボード、メロトロン奏者)として、プログレ・バンド、スプリング(Spring)でアルバムも残している。
オール・ミュージックのサイトで彼の仕事の全体を俯瞰できる。