Sofa Sound Journal 2012年11月度 「緩やかな始まり」 |
"A gradual start"
「緩やかな始まり」
Posted: November 30, 2012 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized | Comments
もちろん、すべてが“プッシュ・プッシュ・プッシュ”モードにできる/あるべきではない。たとえ、創造的な努力の領域にあってさえも。
最近の2枚のアルバム -「ア・グランディング」と「コンシークェンシズ」- は、私の現在進行形の楽曲のアイディアの供給をきわめて多く使い果たしてしまった。普通ならば、これら(楽曲のアイディア)の転がし在庫が、それぞれのプロジェクトにおいて、少なくとも一つか二つは、それが何であれ、現在の枠組みにフィットしそうなものがあるものだ。それらのすべてが、それらについての作業が同時にあるいは別々に終了してしまっている - いずれにせよ、そう思えるだろう - 少なくとも私には - 何らかの本質的な価値を有するようになっている - 段階にあるものが。
夏以来、私は、自分が新たなソロ・レコーディングの時期へと向かってきたことは分かっている。いつものように、私は、この作品へのアプローチにおいて、別の異なった新機軸を見つけ用途さがしてきた。
それで、9月には私はアイディアの蓄えを積み上げるプロセスをもう一度始めたのだ。これまでのように、これは即興演奏を意味していた。私は決して前もって計画を立てたり、あるいはそうする能力を持っているライターではなかった(そして、結局ここ数年経ってみても、まだそうではない)。私は、私自身の本能以外に、どのような音楽的原則をも私の使える能力に持ってはいない。だから、書くことはいつも、私にとって、即興経由での実験を以て始まったのだ。もし私がスキルを持っていたら(彼はここでは自分自身大物である)、それは私が、適切なアイディアの萌芽を、...より確かでないひらめきの洪水の頂の上で漂っているものとして、認識することができるということだ。
私の通常の仕事モードにおいては、けれども - もしそのようなものが実際にあるとして、議論の対象は - 私がしばらくの間インプロヴァイズ(即興演奏)を行い、それからすぐにふるいにかけ、彫り込み、包み込んで、その結果生まれたものが何であれ、私の手の内に落ちてきたのかもしれない。だからこそ、事実、私のハードディスクが、あまりにも異なるマテリアルでいっぱいになったという訳ではない…。
今回は、“潜在的に使える”フォルダーは極めて空っぽだったので、私は違うアプローチをとることにした。毎日、毎日、私は、それらを編集したり分析するといった、どんな作業のことも意識すること*なしに*、音楽的に流れんばかりの演奏を行った。私は音から音へ、楽器から楽器へ、変速チューニングからさらに変則的なチューニングすらへと動いて行ったのだ(おぉ、そうさ。私は、これらのことを日常的に行うことで自分自身をトリップ/自由にしようと試みている)。そして、次へと動いていくのだ。(当然だが、私はただ実際には、少なくとも適度に面白いと思えたアイディアの録音(MIDIまたはオーディオで)を始めた…しかし、私のスタジオは今の所、ボタン一つで私を、自分が何の楽器を演奏していようが、即座に録音モードに持って行けるようにセットアップされているのだ。)
私は、首尾一貫したものから、純粋に音響的なものまでの沢山、沢山のアイディアに辿り着いた。しばらくは、それらのどれ一つをも、評価するために振り返ろうとはしなかった。しかし、単純に他の(マテリアル/アイディア)で(作業を)推し進めていったのだ。{( )内は訳者補足}
10月のツアーが始まると、私が、ある種の一貫した分類の中になんとか整理することができるようにと2,3日のオフの間に考えたアイディアのステレオ・ミックスを持っていった(そのうちのいくつかは、前の口上では極度に単純化してしまったけれども、実際にマルチトラックに重ねられたものだ)。心細い見込みだった。これから行うショーはいつも、“自由な”時間は、…プレッシャーをかけられるべきものではなく、大事にされるべきものであるツアーの途上では、そんな位置付けである。私はツアー中に1曲も聴くことはなかった。とは言え、私は、別の2,3の即興演奏を録音することで、蓄えにアイディアを付け加えたのだ…。そのことは、私が実際に新しいことを追いかけ始めた/意識し始めた時には、それら自身がどんどんと姿を現してくるという性質を帯びている。
そして、11月になった、途方もない量の素材を伴って。私は先々週の週末に、ようやく、自分自身を、良心的で、均一なペースの、偏見のない方法で、中立的でいられるような、リスニングのコンディションを変えずに、また、どのような外的な心騒がす物事の無い異なる場所に連れて行けるようになった。これは、受け身の、編集したり楽曲に練り上げていこうとする作業を始めようとすること無しにノートを取る練習だ。どのような先入観もなく作品に再び出会うこと。
私は、ありそうなこと/ありうることのリストを持つところまで来た。この一連の録音のための最初の作業法則を持ってすらいるかもしれない。
そしてもちろん、今や、私は戻ってきた。しかしながらゆっくりと、次のレコードを作り始めている、というべきだ。
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お待たせしました。ピーターの11月度のジャーナルへの投稿をご紹介します。
先に書いていた「2週間の録音」は、どうやら、次なるソロ・アルバムに向けてのものだったようです。VdGGのランチ・ミーティングについては、さらなる続報が出てくるのを待つとしましょう。
今回は、新作に向けての作業について、その前段階というか、そもそもの始まりを語ってくれています。アーティスト自身による創造過程の解説など、滅多に知ることができるものではないと思いますが、それがピーターのことだとなると、なんとも心踊らされるものです。
今年3月の「Consequences」では、ピーター自身は、声高にはアピールしなかったのですが、それまでの「ピアノ、アコースティック・ギター、声」という位相から、次のステップとして、再びエレクトリック・ギターを大きくフィーチャーした曲作りを見せてくれました。ライブそのものは、今年のツアーでは、エレクトリック・ギターを使用することはしませんでしたが、実際に演奏するレパートリーの曲数を大きく増やす、という冒険を見せてくれました。
今回の投稿を読む限りでは「Consequences」で採った「録音の前に楽曲を作り上げ、メイン・ボーカルから先に録音する」という手法は採用していないようです。とにかく、即興演奏をひたすら録りためて行ってから、楽曲を創っていくという、まるで彫刻家が岩の中から作品を彫り出していくかのような創り方をしているようです。はたして完成するのはいつ頃になるのでしょうか。
by BLOG Master 宮崎