Sofa Sound Journal 2012年5月度 「いつものように準備が出来るだろう...」 |
Posted: May 30, 2012 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized
車には荷物が詰め込まれた。けれども疑いなく、私は何かしらあるいはほかのものをいつものように忘れてしまっているだろうけどね。今回は身軽な旅;私のギター・アンプ類はそれらのフライトケースから出されているし、私はHBのピアノを、自分のものではなく、向こう四日間使うことになるだろう。それは、バーミンガムへ行って、VdGGの来るべき北米ツアーに向けてのリハーサルを行うということだ。
先月中ずっと少しずつ、私はレパートリーを調べて、自分がその、いくらか悪魔じみて複雑なものについて再び精通しているように持っていったのだ。自分が思い通りにできる時間を持てるということは贅沢なことだったし、今回はそれを全うしようと試みた。どんなリハーサル期間でも、その始まりにはHBがいつも私に自分たちが演奏するつもりであるものの表計算シートを送ってくる、それには、それぞれの楽曲に対して徐々に能力が戻ってくるのに合わせて埋められるように、一つから五つのチェック用のボックス欄が付されている。自分一人で作業していると、私は自分がこいつのどれ一つについても、完全な五つを付けることなんてことは決してないと感じられるのだが、今回も同様なケースだった。けれども、それはより簡単になるだろう。一旦私たちが実際に一つの部屋に一緒に集まって筋肉の記憶と、歌をキックインする土壇場になることの命令が下ってしまえば。
いまや、本当に確固たるカンニングペーパーの束を手にしている。過去数年の間に私を、ソロ、あるいはバンドと一緒にでも見たことのある人は誰でも、私が、一束の紙のシートを持ってステージに上がっているのを知っているだろう。それらは私の年老いた脳みそが軌道から外れないようにしてくれているのだ。ソロ・コンサートにおいては、単純にとてもたくさんの楽曲が入手可能リスト上にあるので、その夜、どんなものをやるかを選ぶために、その助けを得て記憶を揺さぶることが大いに必要なのだ。特に、それらがレパートリーの中でも最も新しいものだった場合にね。VdGGのセットの場合、とても沢山のことが(ステージ上で、また、私の手と頭の中で)進行するので、すぐ手元に信頼できる歌詞と音楽のセットがあるということが、安心毛布(訳注)として必要なのだ。
*訳注:「安心毛布」スヌーピーのファンならば「ライナスの毛布」と
言った方が通じるだろう。主に幼児が精神的安定を得るために
いつも手にしている毛布のこと。転じて、それがあると安心で
き、落ち着けるもののこと。
私はツアーが行われる度に異なったシートを積み上げてきた。ある時は矛盾する情報と、ひっかきまわした修正を伴ったものだ。シートは通常、完全な歌詞のセットを含んでいる。それは必要という訳ではないが大変役に立つものだ。一つ一つが、すごく場所を取ってしまうので、いくつかの楽曲は3枚かもっとのシートに引き延ばされている。なので、パニックになった時(それがシートを見ようとする時だもちろん)に、そのページのどこを見るべきなのかを、一目で見て取ることは難しい。なので、私はキーとなる単語やフレーズだけを書き込むようにしたのだ。そしてまた、勉めて、と思うが、音楽的情報を本質的なものに蒸留していくようにしたのだ。私はこれがちゃんと働いてくれていることと思う。
もちろん、私は楽譜を読んだり書いたりしない。それで音楽的な手掛かりがしばしば不可解なものとなり、また、私独自の秘密の言語で書かれることとなる。あぁ、それほど秘密ではないな。バンドの中では。思うに:私たちのキュー・シートは、こういった指示が取散らかっているのだ。「ピアノピアノ44」「獣ルート4」「2回」「1回と半分」「1回、1など」みたいな言葉だ。これらは、私たちが通り抜けようとする場所の、また、私たちが何を意図しようとしているのかを明らかにするために得た鍵であるのだ。
よし、それはこれから何日間かの間に私たちが取り組もうとしていることの類だ;私たちの、それぞれのノート(音)と記憶がまだ結びつけることを願いながら。そしてそれから、もちろん、筋肉の記憶を実際の演奏へとキックインしようと試みながらだ。楽しみだ。しかし一仕事だ;実際に一つのセットを演奏することは、もし、あなたが犯したミス(手を上げろ!)がなんであれ、どのようにでも、構わずに終いまで前進するようにした場合のみ、さほど困難ではない。しかし、もし私たちがこのスティントの最後まで寄り添えるならば、私たちは幸せ、どちらかといえばそうなるだろう。どのような出来事においても、プロセスのこの部分はただ私たち3人だけを含むものである。だから、どんなに恥ずかしい精神的あるいは肉体的なキャパシティの崩れも保持されるだろう - そして、許されるだろう - 内輪でね。おぉ、絶対にそんなことがいくらかあるだろう!
今回、この9回のショーに対する準備はとりわけ長いものだった。先週、私たち(バンドとクルー)は、グロスヴェナー・スクゥエア(イギリスの米国大使館がある場所)で自分たちの米国ヴィザの取得するため予約を行った。いつもながら、手続きが済むまでは何もできないというなんともストレスのたまる瞬間だ。それから、少しばかり神経質な、パスポートが自分の家に届けられるまでの間の待ち時間がある:今回は速やかに届けられたのだ、嬉しいことに。今は、私たちのリハーサル、そして、すべての道具が、再来週にはピックアップされることになる。私たちは望んでいる(!)ペンシルヴァニア州、ベツレヘムで再びそれと会えるだろう。そこで私たちは、NEARfestの演奏の前日に(極めて押した状態で、疑いなく)最後のリハーサルを行うのだ。それから、私たちは自分たちの道へと進むだろう。そして疑いなく、すべては次の二週間の間にぼやけて過去となり去ってしまうのだろう。
とてもエキサイティングだ:激しい爆発的な行動、それが現代的なVdGGのやり方であり、私たちはまだ未だにその上で生長していっているように思えるのだ。
脳はくたくた、おーい、そして、やってくる...。
(訳文・文責:宮崎)
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お待たせしました。5月度のピーター・ハミル・ジャーナルの訳文をお届けいたします。
今回は、ツアーに向けたバンド・リハーサルへと出かける直前の投稿です。ピーターのコンサート・ツアーへのコンディションの作り方、持って行き方について興味深い文章となっています。
この中でピーターは明確に「楽譜は読めない・書けない」と述べています。近年ステージ上に楽譜のようなものを持ち込んで演奏中に覗き込むことを不思議に思っていた方にとっては疑問解消。あれは、基本的には歌詞カードだということです。ただの歌詞カードと違うのは、ピーターが必要と判断した演奏上の注意事項がところどころに書き込まれている、ということのようです。
by BLOG Master 宮崎