Sofa Sound Journal 2012年3月度 "Consequentially...." |
「必然的な結果として...。」
Posted: March 31, 2012 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized | Comments
私は、ソロとバンドで、定常的なベースで、私の大人としての人生のすべてに渡って数々のアルバムを作ってきた。また、それらの一つひとつの新しいプロジェクトに、僅かなりとも予想外の結果を生み出す可能性を持つような方法で取り組むことが重要なことだといつも感じてきた。このことが、一組の録音が他のものから異なるものとなるような、作業手法や、楽器の制限、あるいは、何らかのほかの全体を覆うようなテーマなどを変えるといったことを含めることを可能にしているのだ。
自分自身をだまして何かしら新しいものを見つけるということはよくあるケースで、それは、馴染みのないギター・チューニングを使うことによってであったりする、例えば。そのことで、私の自覚的な意識は、自分がひょっこり出会ったコード構造のことを本当には意識せずにいられるのだ。あるいは、構造をそれ自体の条件の上で形作るために分厚い音の塊を使うことによってであったりする。その後で初めて、言葉や曲目、主題などについて考え始めるのだ。一方、私は自分自身をじりじりとアクションに向けて推し進めなければならない、言うなれば;一つ楽曲の細目に過度に入り込んでしまうことが好きな一方、それ故、拡張することを始めるべき時なのである。
録音に没頭しているときの集中は - 特にスタジオに一人きり、のモードになっているときは - 極端なもので、まったく夢中になっており、本当に、それが公的な場に提示され、受け入れられるか、拒否されるかが問題となるはるか以前に、その作業を行うことのためにそれ自体において正当化されたものだ。このように、音楽を行うということは、一つの駆動されたキャリアなのである。そのキャリアにおいては、例えそれが、ただ単にそれらを克服するための試みだけなのだとしても、その人の限界を知ることは重要である。
そう、例えば、70年代に私がソロ・レコーディングを始めた時は、私はかろうじて使い物になる程度の楽器奏者であり、レコーディング・エンジニアとしてはもう少しひどかったかもしれない。また、その頃は、物理的なテープと限られたトラック数でもって、レコードになるだろう物が何であれ、一回限りのものとして、正しく演奏され、正しく録音されなければならないものであった。あるいは、得られたテイクがベストなものかどうかという決定でさえも下されなければならなかった...つまり、もう一つテイクを取るということが、すでにテープに落とし込まれたものを失うことを意味していたからである。
私がその時代に学んだ絶対的な意思決定の類とは、思うに、テクノロジーが成長し、シフトしていくにつれて、私にとって大いに役立っている。最初はトラックの数の増加を通じて、続いては、シーケンシングの疑似制御の世界に突入し、今や、ついに完全なコンピューター・ベースの録音に突入している。私の観点では、プロジェクトの最後の段階に、あまりにもたくさんのオプションが開かれたままになっている状態で到達するのは決して良いことではない。それは言うなればあまりにもたくさんの決定が延期された状態だ。「やりなおし」は、もちろん、いつでも使える、が、しかし、私は本当にそのボタンに手を伸ばしたくないのである...。
構造あるいはシステムは、与えられたアルバムに対してあてはまるようになっていくものは何であろうと、通常は、最初の段階からそこにある訳ではないが、マテリアルそのもののように、作業が進んでいくにつれて、徐々にその姿を現していくのである。
通常、私は、何年にもわたる期間に書かれた/組み立てられた、かなりの量のマテリアルをもって、”まさに”始めるのである。このうちのいくつかはいつもは純粋に音響的なものだ。それは最終的に日の目を見るかもしれないし、あるいは決して見ないかもしれない - あるいは、よりありそうなことは、歌に近い形にワープしていったかもしれない。この奇妙な二重キャリアの時期において、私は、自分のVdGGの仲間に対して可能なアイディアとして提示したものと、ある理由あるいは別のなにかから、私たちがグループ環境の中で前に押し進めなかったものとがあるだろうということに気が付いた。(反対に、VdGGのディスクの作業をしているときは、私はおそらく、ソロ・プロジェクトのために作業を始めたが、その後それがトリオにぴったり嵌まるのではないかと感じ始めた物を持ってくるだろう...。)
もっともふつうの作業のやり方は、自分が、5つか6つくらいの認識できる楽曲を持って公式に「レコーディングを始めた」と考えようとすることだ。そのうち二つくらいはおそらく歌詞と最初のメロディ・ラインがしかるべき場所に収まっているだろう。そして - 過去には、よくあったんだが - その他のものが作業が進展するにつれて現れてくることを期待したい。(ちなみに、『私は今、あるアルバムのレコーディングを始めたのだ』という強い感じを持つことは、いまだに私にとっては重要なことである。たとえ実際にはいつも録音したり、いろんなものを書いたりということを日常的なベースでやっているのだとしても。)
最新のアルバム「Consequences」については、私は元々いかれたアイディアを持っていた。それは、初期のテープ時代をミラーリングして、8トラックだけでやろうというものだった。それは、多分、近代的なレコーディングの際限のない可能性に与えられた、小さなアーチとなるものであったのだ。そして、私は結局kそうしなかった。しかし、この考えの背景にあるその哲学の持つ何かしらは、レコーディングの中に。また、特に、最終的にアルバムの、あぁ、エトス(精神)の根底となった決定の主要な二つの領域の中に、持ち込まれたのだった。
長い年月において初めて(確かに70年代に遡っても)、私は、すべての楽曲が、歌詞も含めて完全に書き終えられたものが揃ってから、初めてアルバムの録音のスタートラインにつこうと決心した。それ故に、作品作りの過程は、はるかに多く考えられ、レコーディングのプロセスよりもはるかにゆっくりとしたものになった。- たっぷりと宙を見つめることは、云わば、取るべきアイディアを『待っている』状態だった - これは、私が準備にたっぷり6週間かそこいらを費やした、ということを意味している。
この方法で物事を行ったことがこのアルバムにおける二つ目のイノベーション(革新)につながった:明らかに、すべての楽曲が出来上がっており、仕上がっていたので、それぞれの楽曲のリード・ボーカルは私の手の内にあった。演奏と強度に対する過多な配慮なしのクイック・ガイドを - いつものように - 書き殴る代わりに、私は最初のボーカルが最終の、リードの、バージョンとなることを狙うべきだと決心した。これは二つかそこらのライン以外、すべてに対しての事例となることを証明した。
それから、各トラックを組み立てるボーカル周りを取った。各トラックの後ろにはきわめて基本的なギターあるいはピアノのパートがあった。私はこれらを続くレコーディングの間ずっとセンター・ステージにとどめておいた。これは私の普通の作業手順とは全く異なっていた。普通は、ある種の『バンド』(最小限で、具体的あるいはいい加減なものではあるが)を組み立てて、それが徐々に、その中心に、構造様式を与えてくれるというものだ。私は声の位置を決めた。さぁ、声の『周りに』装飾を付け加えていったのだ。
そのような支配的な、中心パフォーマンスを以て始めるということは、私のアレンジとオーバーダブに対するアプローチがまったくもって私の標準 - もし、実際、そんなものがあるならばだ - から、かけ離れていたことを意味している。すべての追加は、その中心の声をサポートすることを意図された。特定の期間において、これは多くのサポーティング・ボーカル - ハーモニー、バッキング、コーラル - が主要な色彩を分け与え、一方では複数のピアノとギター(ほとんどそのすべてが、もう一度言うが、エレクトリックだ)が様々な層に付け加えられたことを意味している。パーカッションとその他の楽器はまばらに使われた - ちょっとしたオルガン、背景のエフェクト類、シンセサイザーは薄かったりとんがってたり、と。全てを支えているのは、ほとんどのケースで、リニアなベースのパートだ。
事実上、これがサウンド・ワールドを(古風な)8トラックの領域に収めることになった。例え、かつて以前そうであったよりも、より沢山のトラックがあり、確かに、より強さがあったにせよだ。特に、バッキング・ボーカルを、まさに当時私がやったであろうように、手順のかなり早い段階で付け加えることは興味深いものだった。
どんなに最小限、あるいは微細な(そして、多くのケースでは、それらははるかに、はるかにそこからはほど遠い)オーバーダブであっても、、そこにメインのボーカルが最初からあったという事実が、全てのトラックが、たとえ控えめな瞬間であっても、完全に敵対的であるということを意味している。
そう、さぁ、それが、今回どのように起こったのか、である。
多分来月、アルバムが実際にリリースされたときに、私は『何が』これらの楽曲においてなされたのかについて何かしら書くことだろう...。
「Consequences」は4月16日に出てくるし、ヒント、ヒントは、私たちは事前注文をソファ・サウンドで受け付けている。
暴言終わり、今のところは。
(訳文文責:宮崎)
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今回のお題はアルバム制作の方法について。最新ソロ・アルバム「consequences」において採用された方法は、これまで一度も採用したことがない方法であった! というのが赤裸々に語られています。
訳文は、すべて私の責に負うものですので、誤訳などありました場合ご容赦ください。まぁ、相変わらずわかりにくい文章です。
by BLOG Master 宮崎