Sofa Sound Newsletter 31/March 2007 |
ちょっと時間がかかってしまいましたが、VdGGのライブ・アルバム「Real Time」の発売に合わせて発行されたニューズレターの概要をご紹介しておきます。
冒頭の言葉からまずは意味ありげです。「2007年に入って、来、行き、再生そして期待の時…過去の熟考と記憶と同様に。」という一文で始まる今回のニューズレターでは「最も当面のニュースはロイヤル・フェスティヴァル・ホール・リユニオン。・コンサートのCD「Real Time」がとうとう3月5日にリリースされることだ。」とあり、そのリリースについては「その寿命に対して不条理なほどの準備期間の果てに。」と、リリースまでの期間が思いのほか長くかかってしまったことに対する気持ちを表明しています。
次のニュースとしては、もちろん「新しいフォーメーションのVdGGがついに4月と7月にいくつかのコンサートを行う」ことでしょう。「この段階に到るのは、もちろん奇妙で - しばしば困難な - 旅路であったが、とうとう、私たちはここにいる。」と結んでいます。
「ようやく、リアル・タイム…。」と題された本文では、まず、このRFHコンサートがフル・マルチ・トラックで録音されたとあります。ヒュー・バントンがそれを夏のツアーと10/11月のツアーの間の期間でミックスダウンをしたとのこと。ヒューの仕事はファンタスティックだと述べ、『プレゼント』セッションの初期のバージョンが、「私たちの間を回されて酷使されていくうちに彼らの素晴らしい演奏と共に紛れ込んできた様々な騒音やヒスノイズだらけだったのを全体としての力強さとバランスを生み出したのと同じようにだ。最終的に私たちが音楽的にも感情的にもまさしく偽りのない絵に仕上がったことに対してHBに感謝を」していると結んでいる。
ピーターは、「このマテリアルを現すやり方は、物事が進行していった通りに(もちろん、ショーの終わりとアンコールとの間は別として、:あとCD1の終わりを、CD2の交換するためにちょっとだけ削除したのも別として)まったく編集せずに、写実的な様式に於いてのみとするべきだと決めていた。」と言っている。
ジャケットのデザインはいつものようにポール・リダウトによるもので、このときのライブ、それとその後のツアーでのモニター・エンジニアでもあったエド・クラークによる白黒写真、ダニエル・サムズによるカラー写真(『レミングス』中のどこかの場面だそうだ)に謝意を献じている。また、婉曲的な表現ながら、同じRFHライブの海賊盤を買うことに対しての痛烈な皮肉が述べられている。
スリーヴノートについてピーターは、「難しい仕事だった」と言っている。なんとかバランスの中心を見出そうとして、最後にはステージを始める直前の舞台脇に立っている時の感覚~(天然の)脳内麻薬があふれ出している感覚~を思い起こして、漸く書くことが出来たようだ。
「『リアル・タイム』の経験は私たちの野望の、私たちの集合体としての意志の、演じれば何事かを為せるという私たちの信念の証拠として成立している。」という一文は、非常に重みがある。続けて「その年の後半では、私たちは確かに『より上手く』演奏した;だが、後では、私たちには出来るということが*分かっていた*のだ。RFHの当夜、それは私たちの誰一人にとっても明らかなことではなかったのだ、と思う。私たちは結局は何とかやりぬけるだろうと、上手く演奏するだけは出来るだろうと思っていた。」と述べているのは、やはり、この一番最初のライブが以下に特別なものであったのかを計り知るに十分な言葉ではないだろうか。
また、「新しいトリオのVdGGがツアーを始めようという時に、それをサポートするのが "古い" 4人編成でのライブのリリースだというのは少しばかり奇妙に見えるかもしれない。」と述べ、
1)私たちは一般的な意味での、いかなる「プロモーション・ツアー」も正確にはやっていない。
2)これは、物事がワークする本当に唯一のやり方である。
と二つのことを指摘して、この『リアル・タイム』の遅いリリースによって2005年のライブを単になぞるだけのツアーを新しいフォーマットで行うことはハッピーだとは感じないのだと主張しています。それでも、もし、『リアル・タイム』を今出さなければ、それは結局後数年棚上げにされたままになってしまうだろう。新作のリリースを優先するだろうから、と。
「そういう訳で、『リアル・タイム』は、結局は、Fie!レコーズから、今、リリースされることとなったのだ。」
しばらく前に - 交渉がヴァージンとの間で難航していたころに - ピーターは、Fie!からリリースすることは望んで*いない*という見解を表したことがある。それは、「公的な受け止められ方("ハミルはいつものように何でも取りたがる")というのと、内的な責任の両方の意味においてだったと述べています。ただでさえ、レコード会社との関係のプレッシャーを付け加えなくとも、グループのメンバーとしてお互いに対する責任だけで十分だった、と。しかしながら最終的には、全ての関係者にとって、問題であるようなところもなく、搾取的なところもないことが証明されるようなやり方において合意が為されたのだ。(これにはもちろん、デヴィッド・ジャクソンも含まれている。)」とFie!からリリースすることになった経緯について簡単に説明をしています。
ピーターは、なぜRFHのライブ・アルバムを早く出したかったのか、ということについてこう説明しています。「VdGGサーガの新しい時代は、デヴィッド・ジャクソンのグループからの脱退にスポットが当たる形で始まろうとしていた。ライブCDのリリースは、2005年の幕開けの興奮と同時に章の終わり、ある種の線引きでもある。」それゆえ、レコード会社との交渉が難航しているという状況は時間の経過とともにどんどんメンバーのフラストレーションを高めていくことになったようです。その交渉について多くを語ろうとはしていませんが、北米ツアーがその交渉材料としてレコード会社側から使われたというように取れる文章もあり、かなりうんざりさせられる状況だったのは間違いなさそうです。
また、ライブ・アルバムのリリース構想の最初期にはロックパラストのDVDを一緒にパッケージングする、というものがあったようですが、それもまた流れたようです。しかし、米国のあるレーベルがドイツのTV局WDRとの間で契約を結べば、そのDVDが単独でリリースされる可能性はまだ残されているようです。果たして実現するのかどうか。
ここまで前半が「リアル・タイム」に関するもので、後半は注目の現在のVdGGのことについてです。
まずは、現在のバンドが来るべきツアーに対しての準備が整っているということを自信あふれる口調で語っています。ツアーの概略に触れながらも詳細はツアーのページで見るように、と。
また、前回のニューズレターで公表されたショッキングなデヴィッド・ジャクソンの脱退の件について、沈黙を守り続けたことに対してピーターは「私はその沈黙について何も謝ることは出来ない」と述べており、ここで述べられていること以上のことは語るつもりがないことをほのめかしています。そして「次のように言うことは出来る。」として述べられていることは...、
まず、VdGGとして活動を始める随分前から、メンバーの間では様々な議論がなされ、「何が含まれ、或いは含まれないかということについての包括的な理解を確立してきたと信じていた」と述べています。また同時に「私たちの自分たち自身とお互いに対する責任についても同様だと信じていた」とも。そして、メンバーは誰も「巨万の富を求めてはいなかった」ということも。
一旦バンドとしての活動が公式に始まれば、バンドとしての活動にメンバー各人の時間を責任を持って割くということが合意されていたとピーターは述べています。また、2005年のアルバムとツアーが終了した段階で、何が残され、次に何をするべきかを協議するということがメンバーの間で合意されていたのだそうです。収益の分配においては4人全員が公平になるように取り決められており、誰かが他の誰かより多くも少なくもなかったと述べています。
実際には、メンバー全員がそれぞれバンド活動において、「様々な異なる問題と複雑さに直面した」そうで、時間の経過とともに、デヴィッドはそういったことに対処することが困難になっていったのだそうです。それが原因でデヴィッドと他のメンバーたちとの間に軋轢が生じていき、「一連の手に負えないことがますます増えた結果(私は詳細を提示し*ない*)、ガイ、ヒューと私はたとえ将来、何が起ころうともデヴィッドと一緒にグループに居続けることはないだろうということが明らかになった。」そうです。
2005年の末には、自分たちが続けたいのかどうかも分からなくなっていたようですが、明けて2006年1月にピーター、ガイ、ヒューの3人は会い、そこで「真にVdGG精神に忠実であろうとするならば、少なくとも挑戦し、実行する必要がある」ということを共通の認識として見出したようです。そして夏、3人で「何が出来るのか」、ではなく、3人でやることに何らかの「やる価値があるのか」ということを実際に確認したそうです。
「私たちが行った公式なアナウンスはデヴィッドの脱退だけだった。以来、私たちはこれらのことについては沈黙を守ろうとしてきた。私たちはこそこそ隠し立てをしている様に見られるよりも、堂々としているようにとられることを望んだのだ。私たちが後ろ向きの苦さよりもむしろ前に進もうとする積極的な本性を強調したのだ。」
「単純な事実は、デヴィッドは再び私たちと一緒に演奏することはないということだ」とピーターは述べる一方で、「それは異なっていくだろう。それは同じにはならないだろう」と言っています。ここでいわれている「それ」が何を指すのか。ここではバンドのことを指しているように思えます。なぜなら、続けてピーターは「断固としていうけれども」と前置きして「それはVdGGの歴史における次の章だ」と述べています。デヴィッドのいないバンドを見るのがつらいファンもいるだろうが、彼がいないということこそがメンバーが2005年の終わりに自分たち自身を見出したところなのだ、と。
最後にピーターはデヴィッドの離脱について、それが「あなた方の多くの心を乱し続けるだろう」と述べつつも「私を信じなさい。けれども、それがそうだった様に或いは私たちに残されているように、よそよそしく疎遠にならないで欲しい。」としています。なぜなら、「しかし今...、私たちは進もうとしている。これが今のVdGGなのだ」からであるし、また、「過去は残るし、為されたことは為されたのだ」と割り切ることを強調し、「未来は私たちの手の中にある、喜んで受け取られた未来が」と結んでいます。
そして、「何という機会! 何という挑戦!さぁ行こう!」
by BLOG Master 宮崎
ぜひ日本公演を! とお伝えください。