「録音の驚き」ソファ・サウンド・ジャーナル2014年1月度 |
"The Wonders of Recording"
Posted: January 31, 2014 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized | Comments
私は作業の大半を一人で部屋で行ってきたし、その多くをインスピレーションが湧き出すのを待つことに費やしてきた。他の誰一人として相談したり議論したりする相手はいなかったので、私は作業中の作品を何度も何度も聴き、それを正しくするには何を足すべきか、あるいは、何を引くべきかを、異なる角度から検証してきた。私の意見は、徐々に聴くことが増えていくことによって、だんだんと形作られていったのだ。
いつだって明らかだったように、レコーディングの進行に含まれているカオスの特定の要素を保つことに私は熱心だったし、それは、実際、そうすることはとても簡単なことだった。私はもちろん楽譜を読んだり書いたりしないし、多年に渡り、きちんとしたアレンジを為す限りにおいて、アクション・ペインティングを思わせるようなやり方で取り組んできた。私にとっては、その曲がどこに辿り着くのかの*いかなる*アイディアをも持って、楽曲を始めることは稀である。(少なくとも、ソロ作品においては - VdGGのために書いている時には、心のどこかで、HBやブレインの音楽的な声を想像しているのかもしれない...。)
そう、事実、ほとんどの時間は、現在得られる音楽的な余白に何を付け加えれば上手く貢献するかということを考えなければならないのだ。あるいは、実際には、何が根本的なオープン性を維持できるのか、ということをだ。私は決して、ミュージシャンとして達人であるふりなどしたことはないし、だから、翻って言えば、オーバーダビングされるだろうものに現れるときには、自分の技術的な限界に気が付く、ということだ。猛烈なソロは、極稀に、曲を前に押し進める最上の方法であるものとして思いつくアイディアである、とは言え、だいたいは、自分が拡張したい、あるいは、調べてみたい音響的なテリトリーについてのアイディアをまさに持ってはいるのではあるけれどね。
言っておかなければならないのは、もちろん、どのような「作業中の作品」をも聴くということは、最も新しい音楽的に追加されたものの方へとひどく傾いてしまうということだ。それは、たとえそれが、実際には、本質的な構造的なパートでは*なかった*のだとしても、これが最高の位置付けで現されるのだ。とは言え、いつだって、最終的な、仕上がった作品は、作品全体のために統一感のあるミックスを見つけるために、ある程度一緒くたにされるということを内包していることを知ってはいるのだ。
私の時間の大半は、それから、だんだんと、穏やかな(-感じの)考察をすることでまとまっていくのだ。けれども、時々、ラッキーなパッチが打たれ、すると、すぐさまスタジオの現実世界である、素晴らしいゴタゴタと即席の満足の中へと叩き戻されるのだ。2,3日前にもそんなことがあった。
私が取り組んでいた楽曲は、正直に言えば、その時点でのこの特別なプロジェクトにおけるどんなものよりも最悪な形にあった。それには、ギターがあり、2,3の極めて平均的で雑然と差し込まれたベースのパートがあり、リード・ボーカルもどきがあり・・・そして、実際、ただざっくりとした歌詞があるものだった。そのような将来の改正に関する注意書きは、全てではなくとも、これらのパートの大半をやり直すことを示しているような、そしてまた、私がそれをどこへ持って行こうとしているのか本当に確かではなかったさらなる向こう側を指し示しているかのようだった。
時間の割り振りもまた極めて杜撰だった。私は原則的にそれを気にしない - さまよえるビートの中にはいつだってちょっとした命があるものだ - しかし、このケースにおいては、私は全てのメイン・ビートについてどのような外見も与えることなく始めたのだ。それゆえ、それはいたるところにあった。
それで、最初に私はさまざまなに単純なパルスを懐古的に付け加えた。そうしてみると、極めてラディカルな編集とシフトするギターのパートは適切なものであった。突然、それはより確信に満ちて響き始めたのだ。演奏した量をラディカルに減らすことによって、私はなんとか最初の努力から首尾一貫したベースのパートを引き上げることさえできた。私は、楽器に関してはゼロからスタートしなければならないと想像していたので、これはちょっとした結果であった。
今や、私は相応しいボーカルを行うことについて、十二分に自信を感じるようになった。それはまた、(きわめて明らかな、と思うのだが)、物事がリード・ヴォーカルの支柱の中においてリアルになっていくときに、それに続けて最終的な歌詞もまたそのフレームの中へと押し進んでいくのだというケースでもある。
そう、突然その曲はシリアスな命題となったのだ。
それまでは、とてもノーマルだった、実際。けれども、その後の48時間に起こったことは、本当にまったく常軌を逸していた。
私は、バッキング・ヴォーカルが効くだろうという感じがしたので、自分のいつもの流儀で、つまり、ラインと位置取りで実験をするというやり方で作業しようと準備した。2,3時間もすると、その歌に沿って流れる二つのパートのハーモニーが見つかった。メイン・ヴォーカルに対して、ある時は合わせる様に、ある時は対立するように、というものだ。そして、私の普通の作業のやり方で(これは、私が*獲得*したスキルのひとつだ)それぞれのラインを3倍にした。とてもウォームだ。
私は、また、バッキング・ヴォーカルが完全に独壇場で響きだせる場所を2つほど見つけもした。その曲の中間部 - この時点までは、見事なまでに空っぽだったところだ - と、拡張されたコーダ部分、それもまたまったく新しいものだったのだが、その両方にだ。
楽曲は、トランスフォームした。そして、多分もっと重要なことは、構造的に響くようになったということだ。
次の日は一日中、触発された - あるいは、とびぬけて幸運な - レコーディングの期間を持てた。私が辿り着いた一つ一つのアイディアが、サウンド、楽器、アプローチの範疇において、自発的かつ即座に効果を発揮したのだ。それは極めて稀なことだ:いつもは、何かしら上手くいかないファースト・テイクと判断ミスを通して作業しなければならないものなのだ。速やかに、私はいくつかの異なるパートを重ね録りしていった。幾つかの純粋に音響的なものや、様々なキーボードとギターなどを。これらの一つ一つは、絶対的に本能的で即興的なものであった。
これらすべての重ね撮りは、極めてシンプルそれらに収まった…、けれども、その蓄積された効果は、楽曲を完全に完成させるに至らせたのだ。それらの重ね撮りのどれ一つとして、その構造を全体的に変えたりはしなかった;しかし時々バックグランドに雰囲気と角度を付け加えることで、全体的な効果に大きな変化を導いている。
これが録音の驚きだ。二日前には全くそこになかったものが、いまや安全で完全なものとなっている。それが、私がいまだにそれを愛し、なぜスタジオでの過程によって熱くなるのかの理由である。
これまでのすべての年月を経た後でも尚、これらの経過の一つを始めたならば、私はただリプレイ・ボタンを打ち続けるのだ。「よし、そのすべてはどこから来るんだい?」と言いながら。
そうだ、そうだとも。
前進!
-----------------------------------------------------------------
今年最初のソファ・サウンドのジャーナルの投稿です。レコーディングの醍醐味を存分に語ってくれています。
同時に、通常のソファ・サウンドのサイトにて、2月3日発売のゲイリー・ルーカスとの共作「アザーワールド」の販売開始のアップデートもありました。
Last updated: 02/02/14
"Otherworld" now out
Sofa Sound The Latest News.... 02/02/14
The collaboration with Gary Lucas, "Otherworld", is now out (on Esoteric) and and you can order it here.
And news just in: we'll be presenting the new material live at the Union Chapel on 21st February 2014. Tickets are now on sale here.
The album's a mixture of songs and sonics and does, indeed, occupy some otherworldly spaces. I'll write more about it in due course, almost certainly in the journal...as below....
Apart from this I'm still hunkered down in the studio working on the next solo release, which will follow later in 2014. That's different, too!
ということで、ソロ・アルバムの方のレコーディングも継続中。こちらは発売までは、まだもう少し時間がかかりそうです。
by BLOG Master 宮崎