"Shadow’s legacy" Sofasound Peter Hammill's Journal 2013 Feb.28 |
"Shadow’s legacy"
Posted: February 28, 2013 | Author: sofasound | Filed under: Uncategorized |7 Comments
私がレコードを買い漁っていた頃、私はまた、ライナー・ノーツを熱心に読む者でもあった。いつも、誰がレコードをプロデュースしたのか、エンジニアは誰なのか、いつ、どこでそれは録音されたのか、どんなゲスト・ミュージシャンが参加しているのか、そういった事柄を知りたくてたまらなかったのだ。(ついでながら、もちろん、音楽をスキャンする上での、この側面は、ダウンロード世代になると速やかに消えて行ったものだ)。
けれども、それは、なにかしら重要なつながりを作り出すのに十分なほど物事のトップに私が常にいた、という意味ではなかった。という訳で、私はリチャード・ウィリアムスに感謝しているのだ。彼は、プロデューサーのシャドウ・モートンについての死亡記事において、私がそれまで認識していなかったことを指摘したのだ。シャドウ・モートン - 二つの60年代のレコードにおける仕事、それは、最近では特に高名な訳ではないが、当時、深く影響があったものであり、...そして、今日も、木霊しているものだ。
モートンのそもそも最初のプロダクションは、また、誰しもが言うところの一番最初の(そこにはちょっとばかり神話製造の匂いがすると思うのではあるけれど)歌は、シャングリ=ラズによる「リメンバー(ウォーキング・イン・ザ・サンド)」(wikipediaの解説)だった。これが1963年に出てきたときは天啓だった、それは、(私たちがとても傾倒していた)ポップ・アート/ドラマの完全武装をした一曲だったのだ。それは、(フィル)スペクターのワイドスクリーン音響的なものを持っていたが、より重要だったのは、沢山の半可視的な、多くを説明されない物語が進行しているという感覚だった。少女の配し方は驚くべきもの - 彼女らは当時10代だった - であったし、ストップ/スタートは、当時の3分間シングルの世界においては前代未聞のものであった。それは本当に、スペクターが「子供たちのためのオペラ」のために熱望していたことをまさに直撃したのだった。
続いたのは「リーダー・オブ・ザ・パック」(wikipediaでの解説)だ。これ以上何か言うべきかい?
あぁ、さらに言わなければならないことは、これらのレコードがその当時の、この特定のティーンエイジャーに大きな感銘を与えた、ということだろう。そして、そのうちのいくつかは、完全に理直感的なレベルにある一方で、別の在り方では、それらはサウンドと音楽とがいかに一緒になれるのか、いかに人はちょっとした推論によってストーリーを組み上げられるのかということを私に思いつかせたのだ。
思うに、多くの人は私のリフ構成において、ジョン・リー・フッカーあるいはハウリング・ウルフの影響を多く見ることはないだろう。ましてや音楽の欠片の造形においてシャングリ=ラを。にもかかわらず、それらはそこにあるのだ...
(そして、もちろん、起動すべき楽曲のタイトルにおいてブラケットが優れて使われている)
2、3年ほどのスプール...(あるいは、一生の。本当に、1963年と10968年の間の物事はとてもすばやく起こった。
シャドウ・モートンはこの時までに複数のバンドをプロデュースした。ある特別なレコードは本当に物事を変化させたし、間違いなく、その後続いたすべてのことに大きな影響を持った。特にブリティッシュのバンドから。
それはヴァニラ・ファッジの「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」(wikipediaの解説)だ。彼らは手練れのミュージシャンで、プロダクションとコンセプトは等しく驚くべきものであった。彼らは次々とヒットを飛ばし、それを何かしら、まぎれもないロックへとしていったのだ...そのようなカテゴリー分けが本当に存在するようになる前に。
そして、それは、えぇ、リフを追加/拡張していくことでなされたのだ、もちろん...。しかし、また、最も重要なことには、全体をスローダウンさせることによってもなされたのだった。そしてその代わりに実際よりへヴィになった。そのようにして、音楽の構成部品として、(エキサイトであるということの対となるものとしての)ヘヴィネスの全体のアイディアは始まったのだ。
そして、信じてくれ、当時の沢山の英国のバンドは、このレコードに多くの注意を払い、沢山の教訓を学んだのだ。
モートンは、「イン=ア=ガッダ=ダ=ヴィダ」(wikipediaの解説)をも生み出した。個人的には私はそれほど嵌まらなかったが、もちろん、それは「俺たちゃ、このリフでもって突っ走って、死ぬまでそいつを叩くんだ」というやり方において、極めて高い影響を持って“いた”。それは明らかに今日まで続いている。
これ以降、シャドウ・モートンは音楽から完全に外れて行った。しかし、彼が遺した遺産は...。
そして、いかに多くのインスピレーションに富んだ人々が、時代を通じて、それらのライナーノーツの中にいたことだろうか!
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今月もツイッターでのアナウンスとワードプレスからのメーリング・リスト登録者へのお知らせで発表された2月度のジャーナルは、やはり2月14日に亡くなったばかりのアメリカの音楽プロデューサーであるシャドウ・モートンについての想い出を語っています。
“...in which I bang on about yet another early influence: ”(Peter Hammill @Sofa_sound)
ツイッターでの紹介は、言ってみれば「私は、さらにもう一つの初期の影響についてしつこく言います;」というくらいの意味でしょうか。
ピーター自身が書いているように、彼の音楽からは、直接的な影響を見ることは極めて難しいと思いますが、根底にはこういった60年代の音楽の影響がある、ということなのでしょう。
ちなみに最初の方で言及されているもう一人のアメリカの有名なプロデューサーであるフィル・スペクターですが、ここでは「ワイドスクリーン・ソニックス」と書かれているものは、もしかすると「ウォール・オブ・サウンド」のことかもしれません。
さて、ついでに最近のツイッターでの発言から二つほどご紹介しましょう。
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“A third and final PH rant/enthuse is now up here: v much off the cuff of course It's an interesting site and idea...”(Peter Hammill @Sofa_sound)
一つ目は、以前にもご紹介した「スリー・ピーシズ」の3番目の楽曲がようやくサイトにアップされたことを知らせるものです。ビートルズの「トゥモロゥ・ネバー・ノウズ」を挙げています。
二つ目は、ビヨークの呟きに対するコメントです。
“what about the human soul ? what happened before we got involved in problematic things like civilisation and religion and nationhood ?” (bjork @bjork)
魂って何?という問いに対してピーターは、こうコメントしています。
“@bjork you mean pure, unalloyed soul, preceding such stuff? Or perhaps did it only start to kick in when we started being complicated?”(2月26日 Peter Hammill @Sofa_sound)
後半は禅問答のようなコメントですが、会話は続いていません。残念。
by BLOG Master 宮崎