ソファ・サウンド・ジャーナル2011年7月「ゲスト出演」 |
"ゲスト出演"
sofasound | July 31, 2011 at 8:54 pm | Categories: Uncategorized | Comments Open
それほど沢山やっているわけではないが、誰かほかの人の作品にゲストとして登場するのはいつだって楽しいものだ。これらの貢献のうちのひとつが最近リリースされたので、この主題について少々言葉を書いてみるにはちょうどよいタイミングのように思う。
私は自分の重要な録音生活の極めて多くを、個人的であれ、共同体の一部としてであれ、そのプロジェクトが、それになるのではなく、大いなる開放となるように前進させることのために費やしてきた。事実、私は自分がメイン・アーティストであるときですら、自身のアプローチにおいて計算することよりもむしろ、自分を引っ掛けてでも手枷を外そうとすることに沢山の時間を費やしてきた。それで、たとえば、ギターのオーバーダビングを行う際の最初の受け渡し(の音)がそこに含まれているキーボードの和声(コード)を、本当にわざわざ調べようとはしないだろう。(たとえ、もし私がそうしたのだとしても、たいした違いはないと言う人がいても、正しいかもしれないが、もちろん...)同じく、大量のBヴォックス(バッキング・ヴォーカル)が必要になるようなときでもある特定の計画を以って始めたりはしないが、たんに、ひとつのハーモニーで初めて、それからそのほかを積み重ねていき、進むにしたがって調整するのだ。偉大だが、けれども、タフなのは、私がいったんこれらの即興的な努力をやりだしたら、それから何時間も磨きをかけ、調整をし、決断をしていくこととなるということだ。
ゲストとして、けれども、あなたは単純に自分が妥当だと考えていることを提示し、それがほかのアーティストに対しても作用するかどうかを見ればよい。そして、もし最初のアイディアがうまくいかなければ、ほかの何かを試すのだ。そして、もし、「何も」上手くいかなかったら、それは、とても - ひどいことだが、必要以上にやりすぎるべきようなことではない。その責任は、それをレコーディングしている個人/個々人と共にある。(故ランディ・カリフォルニアが、私が「レッド・シフト」の二つのソロの内、どちらが好みか? と尋ねたときに、私に言った様に:『そいつはお前のアルバムだよ、マン!』
けれども、私がまさにゲスト参加することに期待していることは、私が通常参照している領域の外側へと到ることだ。明らかに、私は - えへん - 一風変わったものを供する。声的にも器楽的にも、その両方において。そして私に何か、作品に貢献してもらおうと頼んでくる人たちは誰でもそれに気づくこととなる。願わくは、すべての関与したものに、驚きの要素が含まれていてほしいものだ:何かしら新しいものが、ひとつのスタイル/仕事の流儀から現れて、別のものに向かって磨き上げられていかんことを。
そう、この領域において私がやった最も最近のものがある。私の貢献はすべてしばらく前に行われたものだ - それはこの手のものについてのもう一つの見方だ。何かをやり、それは、それが日の目を見る何ヶ月か、あるいは、何年か前かもしれないということだ。あるいは時々、それは決して人目にさらされることがまったくないということも...。
この文章の冒頭にて私が警告したリリースされたばかりの作品とは「ウォーム・ウィンター」、ティム・バウネスとジャンカルロ・エッラのコラボレーションであるメモリーズ・オヴ・マシーンズによるものだ。そこの楽曲のうち1曲「アット・ザ・センター・オヴ・イット・オール」に対して私のエレクトリック・ギターを手がけている。これは間違いなく今風のゲスト作品のスタイルだった:ティムは私に、完全な自由裁量権つきで、オーバーダブ用のファイルを送ってきた。(すべての項目がチェック済みだ!)そして換わりに私は、偏見なしに、面白そうに思えるものは何でも、選択できるように録音したもののファイルを送り出したのだ。幸いなことに、私がそのトラックで追い求めたメインのラインがOKを得て、最終のミックスにおいてもはっきりと存在している...けれども、私のオリジナルバージョンでそうだったように延々と繰り返されてはいなかった。ありがたい!
どちらかといえば、より伝統的な「セッションをする」という範疇に近かったのはデヴィッド・ローズのアルバム「ビタースウィート」のためのバッキング・ボーカル(B Vox)をするのに費やした朝だった。私は以前にもデヴィッドのためのものをやったことがあり、もちろん、われわれにはランダム・ホールドの歴史が背景にあるので、私たちには二人とも極めて明確な、共通のスタジオ作業についての倫理的価値観の理解があった。だから、私たちは自分たちの作業の仕方を4日5、あるいはもっと沢山の楽曲を通してやっつけたのだ。私に求めるヴォーカルのスタイルと重ね方についてのとても明確なイメージを持ったDRとともに。私はとても喜んで受け入れたのだ...時にはサポーティヴな、時には正反対であるバッキング・ボーカルの役割は、私の心の何かしら近いところに残っている。そしてゲスト参加者として、このように精確に導かれることは、“すばらしい”ことなのだろう。
「ビタースウィート」のアルバムは最初、ダウンロード・オンリーでのリリースだったが、もしちょっと探してみれば、現在はCDでも同様に発売されている。
近年の私がゲストとなったほかのプロジェクトが一つある。よりメジャーな、リード・ヴォーカルという役割においてなのだが、それはいまだに日の目を見ていない。実際、近い将来の時間軸では、私はそうならないのではないかと恐れている。言及する価値はあるのだけれど、と思う。
ジョー・ボガート(Jo Bogaert)、先のテクノトロニック(Technotronic)としての活動で知られている、その彼が、現在進行中のヤニック・フォンダリー(Yannic Fonderie)とのプロジェクトに対して、ゲスト参加することに興味があるかと訊ねてきた。私は(もし自分の興味が引かれた時の)いつもの『何かを送ってくれ、そして、もし私が貢献できる何かがあると思えるなら、何かを送り返すだろう』という返答をしたのだ。そして、モノが送られてきて、それが起きたとき、私は、私自身と手に取ったものの両方のために意味を成すようなヴォーカルやら歌詞やらを発見したのだ。
最終的には、私は4つか、5つの力強いビートのトラックを歌った。しかし、これを書いている辞典でそれらはまだ幸せなレーベル・ホームが見つかっておらず、それで、秘密の宝のままである...。
このシナリオでのゲスト歌手の訪れについて、あなた方はただ肩をすくめ、いつか何かが現れてくることを望むと言うしかない...。
これらが最近の三作だったのだ。私はこれらのすべてからと、それが、そうした即席の外での仕事をすることでのもっとも有益なことであるという仕方において、何かしらを学び、そして得た。
ところで、前回のエントリーに対するコメントに感謝する。私は - まだ - コメントに対して答えるというところまでは行っていないが、そうすべきだということについても決めていない。しかし、オプションは、あなた方がそれに賭けるだけの価値は...。
夏の盛りへ、それから...。
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7月最終日に投稿された最新のジャーナルをお届けします。今回は、ピーターがほかのアーティストの作品に参加した「ゲスト参加」についての言及です。
by BLOG master 宮崎