"The Box" <Van der Graaf Generator> |
CD One
1. People Your Were Going To
2. Afterwards
3. Necromancer
4. Refugees
5. Darkness
6. After the Flood
7. White Hammer
8. House with no Door
9. Killer
10. Lost
CD Two
1. Theme One
2. w
3. A Plague of
Lighthouse-Keepers
4. (In the) Black Room
5. Lemmings
6. Man-Erg
CD Three
1. La Rossa
2. Arrow
3. Still Life
4. My Room
5. Sleepwalkers
6. Pilgrims
7. Childlike Faith
8. Scorched Earth
CD Four
1. Masks
2. Meurglys III, the Songwriter's Guild
3. When she comes
4. Wondering
5. The Wave
6. Cat's Eye/Yellow Fever
7. Chemical World
8. Door
9. Sci-finance
10. The Sphinx in the face
バンドの歴史の総括として、また、公式アルバムでは収録されていないライブやラジオ出演などを網羅した「これぞVdGG!」とメンバーが自信を持って発表した4枚組ベスト盤である。もちろん、そういったライブなどが含まれていることから分かるように、これはすべての公式アルバムを持っていることを大前提とした作品でもある。であるから、ここで敢えてスタジオ・アルバムから収録されている楽曲は、ライブなどを含めてもそれがベスト・パフォーマンスであるとバンドが考えているものだと言えよう。これらスタジオ・テイクの楽曲は全て「アン・イントロダクション」と同様にリマスターされている。この二つを併せ持つことで後期三部作についてはかなりの部分をリマスターされた音質で聴くことができるのも、バンドがいかに後期に対して自信を持っていたかの証明とはならないだろうか。今回のレビューでは4枚組ということもあるが、まず全体を、次に一枚ずつに分けて取り上げていきたい。なぜなら、各ディスクには、それぞれ意味ありげなサブ・タイトルが付けられてもいるからだ。
なお、この作品が発表された際のソファ・サウンドのニューズレター(2000年11月19日付)には『Boxed in - 箱詰めされて -』という題が付され、以下のような文章が寄せられている。始まりの文章は幾分ノスタルジック、あるいはセンチメンタルに聞こえるかもしれない。まずは、その文章を紹介しよう。
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そう、ここで、そう、過ぎ去りし、
それはそれは何年も前の...。
ずっと前から噂されていたように - しばらく前からはウェブサイトで確認もされていたように - ヴァージンはVdGGの4 CD Box Setをリリースしようとしている。11月13日に発売され、大きな懐古的な作品となる。
ヴァージン/EMIはすべてのVdGGのバックカタログを、私のカリスマ時代のソロアルバムと同様に所有しているものの、CDの品揃えについては、常に一貫した扱いというわけではない。私は言わねばならないがそれにしても多少の予算的な配慮や制約は別としても、彼らは「ザ・ボックス」のプロジェクトを約束し、フルにサポートしてくれた。
このコレクションの最初のきっかけはグレン・コルソン(いまだに私のマネージャであるゲイルの兄弟)とポール・ラッセルが起こしてくれた。彼らは前述のボックスセットにおいて、ヴァージンとの交渉をやってくれた。 -率直に言えば、(言わずもがなだが)この努力から期待できるものを遥かに越えたセールスをしてくれた - だからこそ、意志決定者たちも耳を貸したのだろう。
暫定的なトラックリストと、ヴァージンからの概要をもって、彼らは、私に接触してきた。次いで私はこ(れら)のグループの元メンバーすべてにコンタクトをとったのである。この時点で私たち(元-たち)は迅速な決断をしたのである。私たちは、物事を普通の業界のやり方に委ねることも出来たのである。何がしか最低限のドキュメントを自分たちから出すといった程度の、...あるいはより積極的にそのプロセスに関与するか、そのどちらも選べたのだ。その最初のやり方は、私たちには、いくらか面白みはあるが、歴史的な正確さなど持ち得ない「製品」につながって行くように思えたのだ。二番目のは、私たちがなんとかものに出来る回顧的な声明をも包含するように思えたのである。いくばくかの恐れ(これは、結局の所、わたし達が常日頃深く疑ってかかっている業界そのものだったのだ)を抱いて、私たちはそのプロジェクトに自分たちの熱心さを委ねることを決めたのだった。結果として、私たちは、オーディオ用語で言う所の、相当にバランスの狂ったキャリアで、フェアでバランスの取れた結果を得たのだと信じている。
キース・エリスとの4人編成から、最後の「ヴァイタル」ライン・アップに至るまでの完全なヴァン・ダー・グラーフの歴史が表現されている。さんざん考え抜いた上で、あらゆる類の写真を、よく知られたものと同じくらい珍しいものを一緒に出したいという欲求はできるだけ尊重された。また、調べてみたら、ヴァージンとBBCの倉庫室ではいろんな物が見つかった。(これらのうちのいくつかは、私自身とうに忘れてしまっていたものだった)私たち全員が理解していたのは、色々な海賊盤が - 典型的な海賊盤の音のクオリティと品質管理の標準とで - ときどき出回っていたことだった。これらは、たとえば、BBCセッションのような半ばコントロールされた環境でのパフォーマンスでは表現していない、グループの行なった本当のライブ演奏を表現していたので、これらを収録するにふさわしく思われた。もし、それらが、ある種の体裁とサウンドにすることさえ可能であれば、メジャーなレコード会社でのリリースにふさわしかっただろう。
誰かがまとめる作業をしなければならなかった。たぶんスタジオの使い方を100%知っていて、マテリアルに関する完全な知識を持った誰かが。そう、読者よ私は自分自身を、すべてのことについて、マスター、リマスターとリカバーすることにノミネイトしたのだ。この件での唯一の条件は、ガイ、ヒューそしてデビッドの完全なコンサルタントを、製作手順のそれぞれのステージで得られることだった。結局、当然ながら、作品は私が元々考えていたものよりもすばらしいものとなった。特に海賊盤からのリカバリー - しかし、それは、それでもなお歓迎できる労働だったのだ。 - において。
私たちが残したものは、BBCセッション('68 - '78)のミックス。それらのどれひとつとして以前には商業ベースでは手にいれることの出来ないものであった;海賊盤が組み込まれた - すべてバンドのパワーが最高潮にある1975年時のリミニ(伊)でのコンサートからである。さらに、オリジナル・アルバムのリマスター・バージョン、そして、B面ものと掘出し物との総決算。全部で4時間半を超える音楽、αからΩまで。
多分、誰にとっても丸ごと一度に聞くには少しばかり多すぎるかも知れない(ヒュー・バントンは最終チェックでそうしたのだが)。しかし一枚一枚のCDの音楽の1時間は、聴き応えのある、理路整然としたもので、且つ首尾一貫して聴く価値がある。
リマスタリングにおいて、私はあまりに過激なことは試みなかった;しかしながら、以前にLPレコードの形そのままでCD化されていた素材のいくつかを、しっかりと捉まえることは大きな喜びであった。私は、その本質を変えることなく強調したのだと思う。リミニの素材は歌にするまでは、いまだダイアモンドの原石のような音だったのだ、バズ、ハム、ステレオ定位のふらつきなどなどすべてをクリアにした。...しかしそれはまさしく1975年に起きたことそのままなのだ。(訳注:バズ=バズ・ノイズ、ブーブー/ビービーといった比較的はっきりと聞こえるノイズ。ハム=ハム・ノイズ、ブーン/ウーンという電気自体の発する聞き取りにくいがオーディオ信号を阻害する低域ノイズ)
二つほど編集されたものがある。もし、私が正確に思い出しているなら「アロー」のイントロと「マイ・ルーム」のフェイドである。これらはディスク3がレッドブックの規格である74分以内に収まるようにとなされたことである。(もし誰かがそれを超えるなら、潜在的な奥深さをCDの国に持ちこむことになる)大きな(且つよりクリエイティブな)編集が「モウグリス三世」に施されている。そのお終いの所は相当に削られているのだ。私の心情的には、「ワールド・レコード」自体のコンテクストにおいてはすばらしい - たとえギタリストが時々上手く機能するというよりはむしろそれをだめにするというのであっても。 - しかし、このコレクションにおいては、そのオリジナルの長さではリズムをあまりにも阻害してしまうのだ。(訳注;レッドブック=CDの技術的な規格、仕様をまとめた本)
(当然ながら、相当に長い間)音楽の仕事に携わっていることは、ファンタスティックな経験である。私自身、歌い/叫びつづけてきて、それらがたどり着いたようにソロでやることを強く勧めるようになり、笑い、泣きそれらすべてが代わる代わる現れるのだ。とてもエモーショナルである。
言うまでもなく、ボックスはフル・パッケージで出てくる。デザインはリダウト(言っておかなければならないが、友人のために多少へヴィーなロビー活動をした結果なのだ)。私たちの全員が私たちのアーカイブに残っているもの、写真類、書類、そして精神を開け放したのだった。ヒューは、彼のさまざまなオルガンの開発についてひとくさり書いたし、デヴィッドもエレクトリック・ホーンについて似たようなことをした;私のこのエリアにおける寄稿は、そのままグループについて書くのと同じようなコメントである。ガイは全般的なイントロダクションのための短い序文を描いた。
これに加えて、ポール・ラッセルによる我々からの引用をちりばめたグループのヒストリーがある。この目的のために私たちは、異なる場所と組み合わせでのインタビューをされた。これらのうちもっとも大きなものはガイ、ヒュー、デビッドと私とで一緒に受けたテラ・インコグニタでの丸一日かけたものだった。おしゃべりをしながら、私が思うに、これまでで初めて、過去について拾い上げ、笑い飛ばしたのだった。私たち全員にとって私たちの18才から28才かそこいらまでの間の生活が何であり、いかにキチガイじみていたかをを知ることは、まったく深遠な経験であった。
私たちに出来うる限りの過去をかき集めた結果、(現在知りうる限り完璧で正確な)私たちのプレイしたすべてのショーのリストができあがった。これはまた、ブックレットに含まれていて、イアン・レイコック(そして、順番に、別の寄稿者)が出てくる。彼はこのプロジェクトにおけるオペラ座の怪人のような役目を果たしていて、「ファンの目で見た」回顧録を寄せている。
そう、すべてにおいて全く、日記が掘り起こされている。古い日付の書類が調べられて...古い契約書や見積書までも(それらは私たちが幸せなことに長いこと忘れていたのだが)がほこりを払われたのだ。とても感動的な経験、私が言ったように、私たち全員にとってそうだった。自分の若い頃の、ドキュメント化された、とても密度の濃い、あらゆる形態での...しかし特に音楽に関する物、そういったものを非常に多く得るということは、単純に普通ではないことである。そしてそれは、もちろん、生活としては、明らかに普通でなかったのだ。
私たちは、ザ・ボックスが、最後には、価値のある、真実の私たちのヒストリーの表現であると信じている。そして、それが高価なのと同様に、よい値打ちをあらわしてくれるものとしてあることを信じている。
最後の言葉;「ザ・ボックス」は私たちがVdGGにおいていつも嫌っていたコンセプトだった...押しこめられ、カテゴライズされ、何であろうと端っこに追いやること。(そのために...「どんな音楽をやってるんだい?」「ゴッドブラフ!」)明らかになるように、私は、私たちは何年もそれを避けようとしてきたのだと思う。...そう、それが私たちの歴史が終わった場所だというのはとても奇妙なことだ。しかし、その時、私たちの頭に浮かんだすべてのほかの可能性のあったタイトルは、ほんとにとってもばかげたものだった。そして私たちはまじめな楽しみの邪魔になるようなばかげたことなど持てないんじゃないんだろうか。
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by BLOG Master 宮崎